今年が暑い夏だったのか、そうでなかったのか、わかっていない。
青春物語の1ページには欠かせない季節だけど、今年も私にはそれらしい思い出がない。
それにしても、今年の夏は、特殊な体験をした。きちんと思い出になるように書きとめておこう。

新型感染症について取りまとめる日々。現場はいっぱいいっぱいだ

7月――私は会社内の危機管理対応をする部署で働いている。そこは今は専ら、感染拡大防止対策窓口となってしまっており、日々対応に追われている。
現場の社員から連絡を受ける。
「感染している当箇所のAさんですが、3回目の緊急搬送で入院できました。家族の話では、肺の8割が機能不全を起こしています。引き続き経過について、またこちらからご報告いたします」
いっぱいいっぱいの声だった。
ここには、現場各所の声が集約されてくる。現場は穴の空いた勤務表を埋め合わせるために疲弊しきっている。いつ営業停止になってもおかしくない状況だ。

Aさんは、この状態でも中等症程度としか認定されていない。もう、「テレビの向こうの世界/夜遊びしている人の病気(1年前だってそんなこと思っていなかったけど)」という段階はとうに過ぎ去った。

不安を煽る、もはやゴシップのような報道と、反対に「重症者・死亡者が少ないから」と軽視する声。どちらも「蚊帳の外」からの意見であると感じてしまう。
自分自身が感染する、という想像力を、果たしてもっているのか?
でも、かくいう私も、自分のこととして捉えられているのか。反省、反省。

40度の発熱で受けたPCR検査。目にした世界を忘れられない

8月初旬――ついに私も40度を超える発熱。終わった、と思った。
基礎疾患があり、比較的すぐに入院できることになった。基礎疾患には、いつも何かと悩まされているが、こんなときに医療を受けられる切り札になるとは思っていなかった。
ぼんやりした頭で職場の心配をしながら、PCR検査を受ける。結果は翌朝に持ち越し。隔離病棟で過ごすことになる。

すごい世界だ。1回1回、ケアを受けるたびに、看護師がしているまだまだ使えそうなエプロンは、部屋の隅にある「感染関連」と書かれたきつい配色のゴミ箱に捨てられる。夜に息苦しくなったり、トイレに行きたくなるが、ナースコールは押せない。こんなときでも申し訳なさともったいなさが先立ってしまう。

こんなにも引き伸ばされる時間があることを、私は知らなかった。世界で一番長い夜だった。私は、陽性だろう。明日、都内の感染者数は+1になる。数字だけ見ればただそれだけのことだ。その内実は、このような不安と苦しみがあった。確定していないのにこの有様だ。しかしもし仮に陰性だったとしても、このベッドが埋まっているために困っている人がいる。いずれにせよ嫌気が差しまくってしまう。

翌朝。9時ころ、結果を宣告される。早く終われと願う。
結果「陰性」。ほぼ覚悟決めていただけにかなり拍子抜けした。
病棟を出るとき、安堵から思わず看護師さんに「ありがとうございました。看護師さん、お気をつけて。すごい仕事です」と言ってしまった。看護師さんの諦めたように微笑んだ美しい目元が、目の奥に焼き付いて離れない。
一晩お世話になりました。ありがとうございました。でもこの高熱はなぜ?

イメージするのは、懐かしの曲がる鉛筆。心を折らずに行きましょう

8月中旬――継続する高熱の原因は別にあると判断され、結局検査入院となる。
毎日、MRIや髄液検査、採血、診察。だんだん疲れてしまう。いくつかの段階を経て診断が確定した。

医師や看護師は優しく声をかけてくれるが、声がどうしても大きい。部屋の皆さんにお耳汚しではないか、恥ずかしい。カーテン仕切りはありながら、公開処刑である。
同様に、私以外の室内の患者さん3人も、同じことを思っているだろう。痛みで呻きたくなるのをぐっと押し殺しながら、豪雨で避難所生活している方の生活はこんな感じなのかなと思いを馳せる。いつか終わると信じて、我慢するしかない。

貯金は、あったに越したことはないなあ。これが個室だったら幾分……。入院することで、病気はよくなるかもしれないけれど、引き換えに、体力とお金、安らぐ気持ち、何かが確実に失われていく。
あと何日かかるんだろう。退院を切望しながらベッドで天井を眺める。

不便なときや、辛いときにどう過ごすか、ということは案外大切なことだと思う。好調なときばかりが人生じゃない。「人生、楽しまなくちゃ」なんて思い込んでいると予期せぬ例外があるものだ。人生なんて、「ただ過ごすだけ」の期間だってあるんだし、楽しみや人との比較に振り回されないことが、不調のときにもやっていけるコツだと考えている。

気持ちを良い状態に保つことは自分では難しい。でも、気持ちを一旦横において、どう日々を生活していくかは、少しでも自分で変えられる気がしている。とは言っても早く「ふつうの暮らし」に戻りたい。
とにかく、なんの病気かわかってよかった。命に別状がないからよかった。寒くない時期でよかった。心を決して折らないで、ぐにゃぐにゃ曲がりながら、元通りになれるように準備したい。

私がこのとき必ずイメージするのは、小学生のときに東京タワーのおみやげショップで買ってもらった、「曲がるエンピツ」である。あんな感じで、芯があっても、折れないハートを持つ。正直、折れそうなときもあるのだが、そしたらこれを読み返して、思い出して、落ち着こうと思っている。

まだ見ぬ9月上旬(希望をこめて)――私は家に戻れた。仕事にもまた向かえそうだ。
ないがしろにしていたかもしれないから、心と体からのメッセージを受け取るトレーニングをしよう。