わたしが歩みを止めた時は去年の秋だ。忙しさのせいで体調を崩し、仕事を休むことになった。確かに分かりやすい形で、歩みが止まったタイミングだ。
でも、自分でも気付けていなかっただけで、もっと前から支障をきたしていたのだと思う。

わたしは弱くないはずなのに。誰にも気づかれないように呼吸を整えた

不安が大きくなると、息苦しさという形で現れることが多い。最初に息苦しさに悩んだのは22歳の時だ。
仲の良かった友達が目の前で過呼吸発作を起こした。7年も前のことなのに、つらい出来事だったせいか忘れられない。

前に過呼吸発作を起こした人を見たときは冷静に対応できた。でも、仲の良い友達が発作を起こすと、全然違って見えた。
周囲が慌てるわけにはいかない。動揺を隠して、冷静に振る舞おうとしたけれど、難しかった。友達は発作が長く続いたせいで、けいれんを起こし、病院に運ばれていった。

わたしが息苦しさを感じるようになるのに、そう時間はかからなかった。過呼吸発作が連鎖しやすいことは知っていた。ただ、実際に自分に起こるとは思っていなかった。
わたしは弱くはずないのにどうしてだろう。自分に起こっていることを、受け止められずにいた。呼吸を整えるために、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。誰にも気付かれないように、一人で静かに戦っていた。

わたしが一人で静かに戦う間に、友達は過呼吸発作を繰り返すようになった。
ある日、更衣室の前で苦しそうにしゃがみ込む友達を見かけた。すでに友達に駆け寄っている人がいた。たくさん人が集まっても良くないので、わたしは近寄らないことにした。本当は駆け寄りたい気持ちだった。

でも、自分が友達の目の前に現れると、症状が悪くなるんじゃないかと思うと怖かった。相反する気持ちがマーブル模様になっていて、自分でも取扱いが分からなかった。

一度は落ち着いた息苦しさも、不安が息苦しさという形で現れるように

友達が過呼吸発作を起こすようになる前、わたしと友達の間に亀裂が入り始めていた。講義室で話すことも、LINEで連絡をとることもなくなっていた。
わたしが故意に彼女を傷つけるような行動をとったわけじゃない。頭ではわたしが悪いわけじゃないと分かっていたけれど、心は自分を責めていた。


息苦しさに悩んでいる時に高校の同級生と会う機会があった。近況報告を兼ねて話を聞いてもらった。とても重たい話だったと思うけれど、聞いてもらえてありがたかった。人に話を聞いてもらうと、心が軽くなることを改めて感じた瞬間だった。

気付けばわたしの息苦しさは消えていった。友達は治療に専念するため、休学することになった。申し訳ないような気持ちが込み上げてきた。すぐに顔を合わせずに済むことへの安堵が追いかけてきて、気持ちは相変わらずマーブル模様だった。

その後の学生生活では、息苦しさを感じることはなかった。社会人になってから、再び息苦しさと向き合うことになった。環境が変化する前に、不安が息苦しさという形で現れるようになった。

異動前はタスクをこなしながら、息苦しさと一人で静かに戦う。異動してしまえば、新たな環境に順応することに意識が向くからか、息苦しさは気にならなくなる。
ちょうど1年前もそうだった。異動のタイミングが刻一刻と近づき、不安は膨れ上がっていた。仕事中はマスクの下で深呼吸し、呼吸を整える。仕事が一段落すると、トイレに向かう。個室は一人で静かに戦うにはぴったりの場所だ。

弱さを認めた上で、「誰かを頼ろう」と思えるのは大きな収穫だ

深呼吸しながら、スマホを取り出し、どうぶつの森のアプリを起動する。木を揺らして、落ちた果実を拾うと、不思議と気持ちが安らいでいくのだ。
誰かに話を聞いてもらうだけで気持ちが楽になる。それは22歳の時に痛感した。だからこそ、もっと早く誰かを頼れていたら良かったのにと思うことがある。

でも、わたし自身が自分の息苦しさを認められずにいた。息苦しさを感じる自分は自分じゃないような気がしていた。1年前のわたしには、誰かを頼ることのハードルはとても高いものだった。

これから先も環境が変わるタイミングで息苦しさが現れる可能性はある。
でも、1年前のわたしとは違う。誰かに頼ることができるようになったから、息苦しさを感じても何とかなる、そう思えるようになった。
息苦しさを感じているのに、感じていないことにする方がかえって自分を追い詰めてしまう気がする。

他の人から見れば、わたしは今も歩みを止めている人なのかもしれない。キャリアという現実的な見方をすれば、一時停止中なのは事実だ。
でも、自分の弱さを認めた上で、誰かを頼ろうと思えるようになったことは、大きな収穫だ。亀のようなペースで着実に進んでいきたい。