旅は私にくっついた様々な物を全てはがしてくれる。
「今日は鎌倉へ海を見に行こう」と決めて玄関を一歩出た瞬間に、身体がふわっと軽くなってどこまででも飛んで行けそうな気さえするのだ。

平日の仕事疲れも感じさせない。どこからそんなエネルギーが湧いてくるのか私にも不思議なのだ。旅は私にとって、きっと魔法なのだろう。

週末に逃げ込んだ由比ヶ浜。当時の私は感情を押し殺したロボット

3年前の冬、私の心は壊れていた。毎週末、遠い由比ヶ浜の海を眺めに家を飛び出しては「まだ大丈夫、まだ頑張れる」と暗くて寒い砂浜に座り込んで、悲しかったことや辛かったことを星空に投げ出した。

旅は、どんなに今が辛くても、世界が綺麗なことに変わりはないのだと教えてくれる。泣いてばかりいるだなんて、怒ってばかりいるだなんて、勿体ないのだと私をしゃんとさせるのだ。

無我夢中で家を飛び出して空っぽ同然の私は、帰宅する頃にはちゃんとまた自分の人生を一歩を踏み出せるよう重みが増している気がする。
私の人生で初めての挫折は、「社会人として当たり前」と言う大人たちだった。
会社の同じ部署の先輩は、上司に怒鳴られようが「殴られないだけまし」だと言う。大人たちの表情を伺い、怯え、私は感情を押し殺してロボットになるのが社会人なのだと必死に耐えていた。

「社会人だから」という言葉は私の心と身体を壊してしまった

週末はまた鎌倉に行こう。誰もいない夜中の由比ヶ浜できらきら星を歌おう。旅は私の心の支えになっていた。
子どもっぽい自分、上司に耐えられない自分、仕事を辞めたいと思っている自分と、1人ずつ「私はもう社会人だから」という言葉で否定した。

そして、私はとうとう会社で倒れ、病院に通うようになった。電車に乗ると上司の怒鳴り声がフラッシュバックして涙が出てしまい、通院さえ一苦労だ。私が「社会人として」頑張った成果は適応障害の診断書になった。
私はそれから家に引きこもるようになり、大好きだった鎌倉も遠い場所となってしまった。私にくっついた重いものがずっと離れないまま、医者に言われた通りに休む努力を続けた。

社会復帰した現在も、癒えていない深い傷を感じるときもある。しかし、住む場所を変え鎌倉からより遠くなった場所に住んでいるが、私はまた鎌倉に通えるようになった。明るい時間に見る由比ヶ浜もきれいだ。
海を眺めて心が空っぽになるのは、世界の美しさに夢中な証拠だろう。生きるのが嫌で仕方なかった過去の私を、思い留まらせてくれたのは旅のおかげである。

新しい職場に転職して、人が言う「社会人」も「大人」もただの他人をコントロールする都合がいい言葉だったのだと知った。どんなに努力しても完璧で立派な社会人や大人には永遠になれないのだ。

最低な気持ちで眺めた特別な景色。旅はこの世界を生き抜くための方法

私が苦手と感じることは「大人げない」や「自分の努力不足」ではなく、会社の中では同僚が補ってくれる。助けてもらった分は、自分の長所で相手の役にたてばいいのだ。努力をするのと無理をするのは異なるのである。

否定し続けた自分も、環境を変えれば人から求められる自分になる。どんな自分も否定する必要などなく、必ず必要としてくれる環境があるのだ。私は子どものように感情を出して、海できらきら星を歌うような自分も好きなままで良かったのだ。

私は過去の暗い由比ヶ浜を一生忘れない。最低な気持ちで見上げた星空の輝きも、携帯のライトで照らされた波の水しぶきも、私を救ってくれた特別な景色だ。
きっと一生をかけても鎌倉全ての美しさを知ることはできない。ましてや全世界の美しさを知り尽くすのは到底無理だろう。だからこそ、少しでも多く世界の美しさを知る旅に出たい。

旅は私がこの世界を生き抜く方法なのだと思う。文章を書いたり写真を撮ったりと生きる理由はたくさんあるが、旅は特別なのだ。
「辛くなったら鎌倉に行こう」
私が幸せの魔法にかかる呪文だ。