2022年は人生で最も勉強を頑張った年にしたい。

教員採用試験がある2022年は、「勉強を頑張った年」にしたい

一般的に、人生で1番勉強を頑張った時を聞いたら、大学受験だと答えるのではないだろうか?高校受験では聞いたことはないが、大学受験では志望校に行くことができなかった場合、浪人して何度も挑戦する人もいるという。私はそこまでして行きたい大学もなければ、志望校に落ちて私立に通う身であるが。

そんな私がなぜ2022年を最も勉強を頑張った年にしたいかというと、2022年は就活をしなければならないからだ。

といっても自分は就活というより、教員採用試験に向けての勉強だ。就活を捨てて教員採用試験に全集中する予定である。つまり、滑り止めはない。

私は中学校ではきちんと勉強していたが、高校ではしていない。かなり遊んでいたし、かなり赤点をとった。正直志望校に落ちるのは当然で、薄々落ちることに気づいていた。勉強しなくちゃという思いより、勉強したくないという思いの方が強かった。
だが、今回は勉強しなければならない。人生がかかっているとは言い過ぎだが、負け組という烙印を押されることは明確だ。

「必死」に勉強はしてなかった去年。試験には再試という救済措置があるから

教員採用試験に受かった人は合格体験を話す会に出席しなければならず、そこで合否が同志にバレてしまう。「あ、あの人落ちたんだ」と後ろ指さされることが私は嫌いだ。絶対に避けたい。

就職活動は高校、大学受験と違い、心の傷を癒す間もなく周囲に情報が漏洩してしまう。それが怖い。教員採用試験だけでなく、就活もそうだろう。就活の話をした時、周りは決まっており、自分だけ内定がないというのは想像以上のプレッシャーだろう。卒業するまでに就職先が決まる大学において、情報は漏洩だけでなく、否が応でも入ってくるものだ。
他人の内定は焦燥感を助長させる。高校受験や大学受験は主に卒業してから合格発表されるので、かなり良心的だと思う。

2021年を振り返ると、勉強はしているがそこに必死さはない。試験を受ける時はある程度必死に勉強はしているが、そこにはどこか余裕がある。試験には再試という救済措置がある。もしくは追加レポート。それが私を一生懸命勉強することから遠ざけている。
しかし、人生の岐路に置いて救済措置などない。しない者には容赦なく、目に見える結果となって現れる。運もあるかもしれない。
だが、運で合格するのはある程度のレベルに達しているからだ。基礎的なことができていない者に、運など味方しない。

悔いが残らないように、全力で勉強して、全力で遊ぶ。それが目標

だから、2022年は勉強を一生懸命頑張ったと言える年にしたい。
まずは春休み。いつもみたいにアルバイトに明け暮れるのではなく、勉強の時間をきちんととって2ヶ月コツコツ勉強する。私はこのように長期間コツコツ勉強するのが苦手だ。

一夜漬けや試験期間だけというのが常だ。しかし、これは長期戦。程よく息抜きをしつつも毎日決めた時間勉強する。それが私にとっての一生懸命だ。

それにプラスして教員採用試験が終わったら大学の友達とたくさん遊びたい。コロナ禍であまりできなかった思い出作りをしたい。悔いのない学生生活を送りたい。社会人になったら大学生のような長期休暇はない。県外に出る友達もいる。今しか存分に遊べない。

私は今の友達が好きだ。正直、ずっと学生のままでいたい。だが、それは到底不可能だ。ならせめて悔いが残らないよう、私は全力で勉強し、全力で遊ぼう。最後の学生を謳歌しよう。