映画の主人公のように。自分をデザインしていくような感覚に近い
1人で暮らしをしてみるということは、自分で自分をデザインしていくような感覚に近い気がする。「自分は何が好きで何が苦手なのかな。今の自分は何をしたいのかな。どんな気分だろう」と心に問いかけてみる。まるで、映画の主人公になったかのように。
実家にいた頃というのは、兄弟や親がいて、当たり前だが自分以外の人の暮らしもあった。
リビングではテレビがついていて見ている人もいれば、キッチンで料理をしている人もいる。楽しい時も疲れている時も何気ない会話があって、芸能人のゴシップネタについて、ベランダで育て始めた植物の様子について、最近ハマっている音楽について、よく話す家族だった。
それだから1人暮らしを始めたとき、そんな会話の時間や空間が一気になくなって、しんと張り詰めた静かな狭い部屋に自分だけしかいないことに、少し寂しい気持ちになることもあった。
ダラダラと誰かの見ているテレビの時間に便乗したり、お菓子をつまんでは話したり、そういう「なんとなくやる」から、「あえてやってみる」時間へと変わっていったのだ。仕事や予定がない限り、部屋に1人しかいないということは、その時間を自分でどう使うのか全て自分次第だから。
時間があることにワクワク。「あえてやってみる」企画を立ててゆく
例えば、週末に1人でピザを頼んでお気に入りの映画を観ながら浸ったり、疲れて帰ってきた平日にはお酒を飲みながら、その時の気分で料理を作ったり。季節が変われば壁に貼ってあるポストカードの模様替えをして、旅したいところを妄想したり、将来のことに想いを馳せながら読書や勉強の時間を作ってみたりする。
自分だけのワガママを自分の気持ちに正直になって暮らしの中で叶えていくことは、自分にしかできないことだから、そんなことができる時間があることにワクワクして「あえてやってみる」企画を立ててゆくのだ。
意外とお金が足りなかったり、そんなことより掃除をせねば、と思い立ってできなかったり、そんな風に失敗することも少なくない。それでも全てまるっと自分だけの時間を任されていることが、自分の人生を生きているということなのかもしれない。
自分の選択が、自分に合ったものに近づいてくると信じている
これからも住む場所を変えてみたり、過ごし方も変わっていったりすることもあるだろう。その度に自分がどう感じるのか実験をしながら幾つもやってくる「あえてやってみる」自分の選択が、自分に合ったものに近づいてくると信じている。
自分の幸せを掴むきっかけを誰かに委ねるのではなく、自分で切り拓いていくこと。そのきっかけを与えてくれたように思う。
1人だからこそ向き合える自分の生き方を積み重ねていけば、きっと、私がおばあちゃんになった頃には誰とどんな場所でどんな風に暮らすことが自分の最高な瞬間になるのかを知り得ていて、くしゃっと笑った時にできる皺は苦労ではなく幸せの証になるかな。
そんなことを先日、友人に話をしていたら、その友人のお母さんはいつも電話越しに不安な声を漏らすと「歳をとれば取るほど、どんどん生きやすくなるから、心配しなくて大丈夫よ」と、けらけら笑って言っているらしい。
そんなことが言える大人ってかっこいい。そんな風になれるかな、なれると信じよう。