会うため、見るために「日常」だった旅は、コロナに奪われた

旅というと、なんだかとてつもなく大きな挑戦のように聞こえてしまう。
知らない土地でとんでもないトラブルに巻き込まれるが、奇跡的に現地の人に助けてもらい、かけがえのない経験を手に入れて帰ってくる。
旅という言葉には、そういう非日常感がつきまとっている。
だけど、わたしにとって旅とは、そんなすんごい出来事ではない。
いつもの生活から離れるというざっくりした定義で捉えるならば、旅はわたしの日常だった。
東に逢いたい人あれば、飛んでいって一緒にごはんを食べるし。
西に学びたいことあれば、夜行バスに揺られ前のめりで講義を受けた。
極端な話、自宅に帰らない日は旅をしてると思っている。
それくらい、わたしは自宅を空けることが多かった。
コロナが流行するまでは。
わたしが初めて外の世界を知ったのは、高校2年生の頃だった。
夏休みの間、語学研修という名目でカナダのバンクーバーに滞在した。
自分の知らない場所、知らない人、知らない言葉、知らない食べ物、知らない空気。
なにもかもが新鮮だった。
自分が如何にちっぽけな存在か、思い知らされる出来事だった。
「もっといろんな世界を見てみたい」
わたしが抱く外の世界への憧れは、この時に構築されたんだと思う。
17歳でそんな経験が出来たことは、とても有り難かった。
わたしは、未知の世界の虜になった。
大学生は、自由だった。
時間とお金さえあれば、いつでもどこへでも行くことが出来た。
すきなアーティストの展示を見るために、上海に行った。
ある川に触れてみたくて、インドに行った。
すきなブランドの本店で買い物がしたくて、ロンドンに行った。
本場のフランスパンが食べてみたくて、パリに行った。
理由なんて、なんでも良かった。
わたしの肌で、心で、第六感で、知らない世界に触れる。
ただただ、わたしの世界を広げたかった。
大人になると、ほんの少し時間の自由がきかなくなってしまったけれど、わたしは相変わらず飛び回っていた。
夜行バスで行って、夜行バスで帰ってくる日帰り旅行はお手のもの。
仕事が終わったらバスに乗って、バスから降りたら仕事に向かう。
そんな無茶もなんてことない。
コロナが流行する前の1年間は、毎週東京の学校にも通っていた。
日常から離れるための、旅という日常を生きていた。
それが、こんなにあっさりと奪われてしまうなんて。考えたことがなかった。
行きたい場所があるなら、すぐに飛んで行くべきだった。
自由な移動が制限されてしまった今、それだけはとても後悔している。
日常に不満があるわけじゃない。
ただ、旅のない日常はつまらない。
それだけのこと。
嗚呼、大切な人に逢いに行きたい。
嗚呼、未だ見ぬ土地の空気を吸い込みたい。
嗚呼、やばそうな食べ物を食べてみたい。
嗚呼、旅に出たいよ。
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