ある時、私は中国にいた。一年弱という限られた期間ではあったが、留学に来ていた。

刻んだ香辛料が入ったラー油の味、露店に積まれたスイカの山、響き渡るけんかの声、力強い同級生の瞳、全てが鮮明に思い出されて、今でも胸がぎゅっと締め付けられる。

タピオカを条件に日本語のレッスン。待っていたのはおじさんだった

タピオカ屋のお姉さんに声をかけられたのは、夏休みに入って間もなくだった。夫が日本語を勉強しているから、暇な時に話し相手になってほしいのだという。
私は急なお願いにも迷いもせず、来る度にタピオカ一杯という好条件に喜んで、すぐに会う日時を決めてしまった。

数日後、例のタピオカ屋に入ると、想像より遥か年上のおじさんが座って待っていた。おそらく歳は五十過ぎで、顔は真っ黒に焼けており、背はひょろりと高い。

おじさん曰く、自分は高校生の頃日本にいて、野球の名門の宿舎に入り、それはそれは厳しい生活を送っていたのだという。暴力的な指導を受けたこともあるし、有無を言わさず坊主にされたこともある。でもその経験はかけがえのないものであり、乗り越えたことで自信にも繋がったのだと、大体こんな内容であった。

30分以上聞いただろうか。私は現場を直接見た訳ではないけれど、その名門とやらの指導が正しいとも思えなかったし、おじさんも辛かっただろうなんて考えていたら、眉毛が自然とへの字になってしまった。しかも会話のレッスンで来たはずが、気がつけば「うんうん」という相づちしか打っていない。

しかし、当のおじさんは全くお構いなしで、しまいには「楽しかったな。今日から俺らは友逹だな」と満足げに付け加えたのであった。

出会って即日、おじさんは私を「友達」と呼び、海に連れ出してくれた

社交辞令にしては直接的な表現だな、なんて私がのんびり考えていると、急におじさんが「じゃあ今から海に行くぞ!」と言いだして、ぱっと電話を掴んだ。

なんだなんだと思ったのも束の間、タピオカ屋の入り口から十数人もの半裸のおじさんが登場し、海だ海だ車に乗れと口々に叫んでいる。私は考える間もなく、若さと勢いに身を任せて、半ば連行されるような形で車に乗り込んでしまった。
友人が目撃したら、誘拐現場だと思ったかもしれない。でも私には、タピオカ屋のお姉さんが笑顔で手を振るのがしっかりと見えて、不思議と身の危険は感じなかった。

車の中は燃えるように暑く、「窓を開けろ!」「クーラーを入れろ!」という怒号のような声が響いている。そんな中でも、「今日、泳ぐ?」と聞かれて、「無理!」と即答したことだけは覚えている。

目的地に着いたら、さっきまで話していたあのおじさんは海へ飛び込み、猛烈な勢いで泳ぎだしたので見えなくなってしまった。他のおじさんは水を掛け合っていて、残りのおじさんが私に話しかけてくる。
「海に来たのは初めて?」とか、そんなことを聞かれた気がする。はっきりと記憶がないほどに他愛もない会話が続いたのだが、「なんで今日一緒に来たの?」と言う人は誰一人としていなかった。

灰色の海と、得体の知れない虫と、漂うゴミと、無数の人と。その景色は決して綺麗ではなく、私は広大な海を見つめながら、泳ぐことを断って本当に良かったと胸を撫で下ろしていた。
一方で、こんなにも歳の離れたおじさんが私を友達と呼び、即日海に連れて来てくれたことには、心が浄化される想いであった。日本ならば友達と海に行くのに何年かかるかなと思うと、奇跡に近い。

こうあるべきだとがんじがらめになったら、新しい世界を見るにかぎる

旅に出ると、今まで悩んでいたことがどうでもよくなることがある。言い過ぎたかなとか、あのやり方はまずかったかなとか、そんな気持ちは塵のように消えてしまう、そんなことが。

この時もそう思えたのは、ものすごいスピードで泳ぐおじさんを見て吹き出してしまったから、というのもあるが、友達と言ったからには、とことん一緒にいてくれる彼らの優しさに触れたからであり、そういう考え方も世界には存在するんだなと気づかされたからである。
こうあるべきだとがんじがらめになった時には、今いる所から少し離れて、この目で新しい世界を見るにかぎる。旅に出て、自分自身をアップデートし、リフレッシュするのだ。

予想だにしない出来事のせいで、今も世界は大変な日々が続いている。
おじさんは今日も、元気にやっているだろうか。無理をして、身体を壊していないだろうか。連絡先を知っているわけでも、すぐに会いに行ける訳でもないけれど、遠くにいる友達に、思いを馳せずにはいられないのだ。