2022年は「頑張る」って言うの、やめます!
頑張ることは良いことだし、成長のための努力って美徳。成長する、目標を達成する、結果を残す、高みを目指す、何かを成し遂げる、成功する……そのために頑張る。
幼い頃から頑張ることは良いことだと言われ続けてきたし、身をもって実感してきた。頑張った先で得られるものがあることも重々承知している。
でも無理に頑張りすぎるといけないことも、2021年を通してわかったから。
心が悲鳴をあげていたのに、「頑張る」を多用した2021年
2021年は特にこの言葉を多用した年だった。
インターンも、卒論も、コロナ禍での学校生活も、自分の心がしんどいと悲鳴をあげていたにもかかわらず、それを外に出せなくて、誤魔化すように口から出ていた。周りからの応援や期待に対する「頑張ります」、自分自身に気合を入れるための「頑張ろう」。
「頑張る」は自分を奮い立たせるための言葉だと思っていたけれど、いつの間にか私の身体中に重くのしかかり、逃げる選択肢も、「しんどい、助けて」と叫ぶ隙も与えてくれない鎧のようなものになっていった。
心の用意ができていなかったり、本当は逃げたいのに鎧を身に纏ってしまうことで戦場に立たされ、戦うことを余儀なくされる。私にとって「頑張る」が、次第に「頑張らなきゃ」というプレッシャーになっていたことに気づいた年末。頑張れない自分を責めたり、やるべきことと向き合えずに逃げてしまう自分を恥じてしまっていた。自分のペースで進めることも、合わないことや辛いことから逃げることも選択肢の一つだというのに。
無意識に出ていた言葉が、私に重圧を与えていると母は気づいていた
思えばそれは、昨年の辛い時期に1番支えてくれた母にもずっと言われてきたことだった。
将来について話していたときのこと。話の途中で急に母から、
「頑張る頑張る、ってさっきから言ってるけど、別に頑張らなくて良いんだよ。なるようになるんだから大丈夫」
と言われた。
無意識に口から出ていた言葉が、私にものすごい重圧を与えていたことを母は気づいていたのだろうか。本来なら人を動かす活力になるような言葉でも、心のキャパシティーに合わないと苦しいだけだ。
自分自身は年末になってようやく気づけた。新しい年はこの鎧を脱ぎ捨て、鎧の下に隠れた翼を大きく広げていきたいと思っている。
「頑張る」って言わない。ただし「極力」が大事
2022年を迎えるにあたって、手帳に今年の抱負を書き込んでみた。
「『頑張る』って言わない(極力)」が私の目指す、2022年の私の姿。「極力」が大事。断言しちゃうと、無意識に口から出る度に罪悪感を抱いてしまうような気がしたから、できるだけ言わないようにしようね、と緩めに自分と約束した。
この抱負は母にもきちんと伝えてある。声に出して誰かに宣言することで、自分との約束が強固なものになるような気がしたから。私の抱負を聞いた母は「良いじゃん!特に極力ってとこがいいね」と明るく笑い飛ばしてくれた。
今年は、向き合わなきゃいけないことが沢山ある。
復学する予定だし、2度目の就活、卒論、卒業のための単位など、去年の私が丸投げしたことを、自分自身で請け負っていく1年ではある。けれど、そんな時でも気負わずに、なるようになれ精神で一つずつ片付けていきたい。
風の時代なんだから、翼を広げたらきっといろんなところに飛んでいけるはず。あとは鎧を脱ぎ捨てるだけ。
用意はいい?いくよっ!