以前から知っていたタイトル。最初は嘲笑っていたけれど
『嫌われる勇気──自己啓発の源流「アドラー」の教え』という本をご存知だろうか。哲学者と若者の会話を通して、幸せに生きるにはどうすればいいのかということを、岸見一郎氏、古賀史健氏が心理学者アドラーの教えに基づき読者に伝えている一冊だ。
本をあまり読まない人でも、なんとなくタイトルだけは聞いたことがあるのではないだろうか。
私も以前からタイトルだけを知っていたが、なんだその弱気なタイトルは。と、心の中で嘲笑っていた。
そもそも私は嫌われる勇気を手に入れたいほど好かれたいと思っていないし、周りの人は大切にしたいけれど、他人は他人と割り切って生きてきたタイプだった。
故になんとも人に媚びを売りまくっている人の発言のようで、ベストセラーながらその本に興味を持つことはなかった。
私がこの本と出会ったのは、10年を共にした摂食障害との離別を図るべく訪れた病院でのこと。
初めて会った私に、先生が、
「お会いできた記念にプレゼントです」
と言って渡した。
貰った手前読まなければと、帰り道の電車で本を開いた。
これが、思っていた以上に共感できるポイントが多く、家についても本を話すことはなく、一気に読み終えてしまった。
読み終えた頃には、随分と前向きな気持ちになり、少しだけ自分を大切にしたくなった。
諦めること。そして、自分を受け入れることの大切さ
この本は正直、特別なことは何も書いていない。
ただ当たり前のことを書いているだけだ。
例えば世の中には変えられるものと変えられないものがあって、過去の自分や人の意識、世の中の常識なんかは変えることが出来ない。
けれど、未来の自分や今の環境、遊ぶ友達なんかは変えることができる。
なら変えられないものはすっぱり諦めて、変えれるものを一つ一つ変えていこう。
という話。
この時の私は、摂食障害による多額の借金に、食べて吐くことで浪費してしまった時間、そして吐く量に比例して失ってきた健康。
たくさんのものに対して後悔や恨みでいっぱいだった。
けれど、もう終わってしまったことは仕方がない。
ならば、今日から少しずつ頑張ればいいのではないか。
そんな気持ちになった。
もう一つ。
自己肯定と自己受容の違い。
自己肯定は、「私ってこんなにいいところがたくさんあって、ご飯が食べられないところも含めて好き!素敵!」という感情。
周りのみんなは私に、こんな風に、自分を好きになれとたくさん言ってきた。
けれど、自己肯定ではなく自己受容でいいのだとこの本は言ってくれた。
「ご飯は食べられないし、褒められるところも二つぐらいしかないけど、ま、いっか」
これが自己受容だ。
無理に自分を好きにならなくても、自分を自分として認めてあげればそれでいいのだと。
自分を嫌って責めなければそれでいいのだと。
なんだかこの言葉を読んだ時、自分を好きになろうとしていた時より自分を好きになれそうな気がした。
「まぁ、いっか」と思えたら、一気に肩の荷が軽くなった
何度も言うがこの本は終始当たり前のことを言っている。
少し考えればわかるようなことを伝えてくれているだけなのに、切羽詰まった人間はそんな当たり前のことや考えれば分かることすら分からなくなるぐらいに視野が狭くなっているから、改めてこうして文章として見ることにより、少し立ち止まることができる。
そして少し立ち止まって一度大きく息をして見ると、思っていたより世界が単純にできていることに気づく。
私はこの本のおかげで、当たり前にできていたのになぜかできなくなっていた考え方を取り戻し、一気に肩の荷が軽くなった。
頑張ることをやめて、自分らしく毎日を過ごせるようになった。
ダラダラすることが増えたことは否めないけれど、そんな1日も、まぁ、いっか。と思える気持ちを手に入れたのだ。
誰しも悩んでいる世の中。「当たり前のこと」を思い出すために
1番不思議に思ったことが、この本がベストセラーだということ。
病んでいる私に寄り添ってくれる本。
心が健康でない私の気持ちを理解してくれる本。
それが売れているということは、元気に見える世の中の人たちも、実は毎日悩んだり、苦しんだり、抱えたりしているんだなと思った。
みんなも同じように悩んでるんだ!
こんなにくよくよ悩むのは私だけじゃないんだ!
そう思うとより一層、悩める自分に対して優しく向き合えるようになった。
私自身この本を読んで体が随分軽くなった。
生きる世界が明るくなった。
だから、周りの誰かがいっぱいいっぱいの時、世界が真っ暗に感じる時、切羽詰まってしんどい時、そんな苦しい気持ちを持った誰かにも、
「まあ少し深呼吸してみなよ」
そんな思いを込めて勧めたい。