「松葉杖」という好奇の目に晒され、注目を浴びてしまった

私は中学の2年間、不登校だった。別にイジメられていた訳ではない。ただ、タイミングが悪かったのだ。

小学校を卒業して中学校に入学するまでの期間に、私は足首の靭帯を損傷した。松葉杖をうまく使いこなせなかった私は車椅子生活をしていて、「車椅子のまま入学式には参加したくない」と中学校の入学式には出なかった。松葉杖に慣れれば学校へは行ける、そんな考え方をしてたからこその決断だった。

それから2週間毎日、松葉杖の練習をして1人で移動できるようになった頃、ついに学校に行くことになった。新しいシワ1つ無い制服を着て、いざ登校してみると「入学式に出なかった人」「松葉杖」という沢山の好奇の目に晒された。2つの小学校の生徒が集まる中学で、別の小学校から来た人が学年の7割を占めていたので、尚更注目を浴びてしまった。
おまけに2週間という期間で、ある程度クラスのグループも決まっていて話せる友人もいなかった。とてつもない孤独に襲われ、皆が私を見ながら笑っていると感じて次の日から学校へ行くのをやめた。

久々に思いっきり心の底から笑えた。帰り道、友達が言ったこと

毎日、わざと指を喉に突っ込んで嘔吐し、「具合が悪い」と仮病を使って学校を休んだ。そんな日が一週間続くと家に担任が来るようになった。
「皆、しおんさんが学校に来てくれるのを待っているよ」とお決まりの台詞。
私なんかを誰が待ってるんだ?誰からもメールすら来ないのに?ほっといてくれたらいいのに。
そう思っていた。
出席日数のために、保健室登校。廊下や窓の外から聞こえる、楽しそうな笑い声に我慢できずにいつも1時間で帰宅していた。
そんな生活を中学2年の3学期までした。

「ピロリロリン」
いつも鳴らない携帯が鳴った。小学校の時に仲が良かった子から届いたメールだった。
「ひさしぶり。今週の日曜日遊ばない?」
確かこんな内容だったはず。いつもなら断るであろう私も、たまにはいいかと遊ぶことにした。
実際にその子と会って遊んでみると、とても楽しかった。久々に思いっきり心の底から笑えた。帰り道、その子はこう言った。
「学校来てみない?私が一緒にいるから大丈夫」
真剣に私の目を見つめながら。
「うん、私も学校行きたい……」
そう言いながら私は、泣いていた。

心にしていた蓋。手を差し伸べてくれる人を心の底では待っていた

私は誰も待っていない学校に行っても、誰も得をしないし、私がいない方がクラスの皆も楽しいはず。自分の事は自分で解決しなきゃいけないと、自分の心に蓋をしていた。きっと、こんな風に手を差し伸べてくれる人を心の底では待っていたのだと思った。
頼ることを知らなかった私が、初めてその子に頼った。「今の私を助けて」。そんな意味を込めて、差し伸べてくれた手を取った。

次の日から、その子は家まで迎えにきてくれて、一緒に学校へ登校した。
始めのうちは、慣れるまで保健室に行き、教室に入れるようになるまで3週間かかった。教室にいる時、いつもその子が側にいてくれて、とても心強かったのを覚えている。
そして3年に上がった頃には少し友達も出来た。その子のおかげで学校生活がとても楽しく思えて、本当に不登校だったの?!と言われるくらい私の性格は明るくなった。
無事に高校も合格して、中学もちゃんと卒業することができた。

きっとあの時に、あの子が私にメールをしてくれてなかったら、学校へ行けるように手助けしてくれていなかったら。今の私はどうなっていたのだろう、とたまに考えることがある。
感謝してもしきれないくらいの恩人。

あれから12年経った今でも、その子は仲良くしてくれている。
「本当にありがとう」