一眼レフを持ち歩くため、大きなリュックを背負っていた

どこに行くにも一眼レフのカメラが一緒だった。最初に買った、レンズと本体がセットになった初心者キットを、何年も初心者のまま。

学生時代の私が大きなリュックを背負うのには理由があった。一眼レフを持ち歩くためだ。
撮りたいものがあればすぐに取り出し、シャッターを切る。家に帰れば、データを眺めながら記憶を引き出せる。けれどいつからか、友達のカバンはどんどん小さくなり、世間ではガラケーがスマホに機種変されていき、私は一眼レフを持ち歩かなくなってしまった。

久しぶりに一眼レフを手にしたのは、ゼミでの研修旅行だった。遠くの県に行き、ワークショップを開催し、地元の研究者たちと交流する。その意義こそ尊く感じたけれど、一番楽しみだったのは初めて行く土地の景色だった。
海が有名な土地だからぜったいに見に行きたい。観光だってしたいから、商店街は外せない。おいしいものを食べて、歴史的建造物も見にいって……と、私の計画スケジュールはどんどんタイトになっていった。

見たことのないものだけでなく。身近な場所をレンズ越しに眺めてみる

ゼミの研修日程を全て終え、フリーになった私はさっそくスケジュールを遂行し始めた。
ステーキ屋さんに行っては写真を撮り、博物館に行っては写真を撮り、商店街のフルーツの並びを見ては写真を撮り。こんなに写真を撮ったのは本当に久しぶりだった。
リュックにしまう暇もなく、ネックストラップをかけたまま、キャップを取り外す時間さえ惜しい。目に映るもの全てが新鮮で、ひとつひとつをカメラに収めた。

いま、写真を見ながら当時のことを振り返る。
美しい景色に囲まれたあの瞬間から、ずいぶん長い時間がたった。旅ということ自体を近頃はできていない。一眼レフはまた引き出しに仕舞われて埃をかぶっている。

見たことのない物は当然新鮮だ。しかし、私が普段どのくらい、身の回りの世界を見つめられているというのだろう。
私は決める、身近な場所をレンズ越しに眺めてみることを。買い物に行く道や、息抜きのための散歩道も、カメラを手にして歩けばきっと見え方が変わるだろう。

旅の安らぎは愛しい。ただ旅に出れない間、自分の弱さも知れた

私が旅先で、初めてみる景色を美しく感じていたのはまぎれもない事実だ。しかし、どんなに通い慣れた場所でさえ時間によって変化はある。
今の季節ならきっと、冬の冷たい空気が澄んでいるだろう。夕焼けの空は格別だし、影は長く伸びているはずだ。植物はどうだろう。冬の緑の色を確かめたい。

次に旅に行けるのはいつだろうか。飛行機に乗るのも、電車に乗るのも好きだ。長い移動時間で本を読んだり、眠ったりするのも。自分のことを誰も知らない場所で得られる安らぎも愛しい。
けれど旅に出れない間に、自分の弱さも知ることができた。自分がどこかへ行くことで、誰かに悲しい思いをさせるかもしれない可能性を考えた2年だった。ときには少し遠出をしたけれど、罪悪感が消えず、今の自分には向いていないのだと分かった。

早く旅行をしたい。でも今は出来ない。だからカメラを持って散策をする。まずはいつも歩いている近所の道から。少しでも違う景色を探して、生活の中に旅を見つけたい。
今日は引き出しからカメラを出して、埃をはらって、バッテリーの充電をして眠ろう。