ずっと誰かのためのものだった人生。気付けば、体は限界を迎えていた
2022年1月1日。私は自分を大切に生きると決めた。昨年まで、私は自分の気持ちを無視し続けた。その結果、私の身体と心はぼろぼろになってしまった。
昨年4月。大学が対面授業を実施すると決定し、コロナ禍で実家に戻っていた私は再び東京に引っ越すことになった。久しぶりの一人暮らしが始まった。そこで、私の緊張の糸がプツンと切れてしまった。これまでの人生で自分の気持ちを無視し続けていた私の体は限界を迎えていたようだった。
6月になってから、私の精神状態は悪化していった。何をしても楽しくない。何をする気も起きない。遊ぶのも億劫で、食べることすら面倒だと感じるようになっていた。そして私は徐々に大学の授業を受けることができなくなり、夏休みが始まるときには布団から起き上がることすらできなくなっていた。
このとき、私はずっと「私なんて、生きている価値がない」と思っていた。「頑張っていない私なんて、必要とされていない」ずっとそう思っていた。
思えば、私の人生はずっと誰かのためのものだった。
親に喜んでほしくて頑張った習い事。
学校の先生のために守っていた校則。
友達のためになりたくて頑張った部活。
どれも私が選んでしていたことに違いはないのだが、そこに私の気持ちはなかった。大学を決めるときも、最終的には「親に反対されないところ」を選んでいた。そして、努力の結果認められることに自分の価値を見出していた。
無条件に私を認めてくれる人なんていない。結果がでなければ私の価値なんてない。そう思っていた。
「しっかり休まないと」。そう思って、自分を追い詰めていた
昨年、私はある人に出会った。彼女は、何もできない私を認めてくれた。
「寝られてるね、いいじゃん」
「休めてるね、偉い」
何度もそう言ってくれた。頑張ることにしか意味を見出せなかった私はそこで初めて、「何もしていない私」を肯定してもらったのだ。
最初は、彼女に見捨てられるのではないかと心配していた。よく休むよう言ってくれた彼女の期待に応えようと、私は「休むこと」を頑張った。頑張って眠れるように。頑張って食事をするように。頑張って返事を返すように。
しかし、彼女は私には思いもしなかった言葉をかけてくれた。
「頑張らなくていいじゃん。そのまんまのあなたでいてよ」
この言葉で、私は「頑張らないことを頑張っていた」ということに気づいた。そのために休めていない自分に対して常に焦りを感じていた。もちろん、そんな状態できちんと休めているわけはなかった。20年以上生きてきて、私は初めてこのことに気づいたのだ。
誰のためでもなく、自分のために頑張れることとは
2022年、私は自分を大切にしようと決めた。それは、誰のためでもなく私自身のためだ。自分の心の声に耳を傾け、私をいたわってあげたい。今まで酷使してしまった私に優しくしてあげる。私が頑張らなければいけないことは「息をすること」それだけだ。
壊れるまで気づかなくてごめんね。
よくやってるよ、私。
頑張った私、ありがとう。