毎月毎月、オーボエ練習のために費用が嵩み、ずっとお金がない

ずっと金がない。なぜだ。リードの材料を買わなくてはならないからだ。
ケーン一つ、およそ400円ちょっと。新しいチューブを買おうと思ったら、一本だいたい500円ちょっと。それを20本。これだけあれば3ヶ月はもつはずだ。
そういえば、次のエチュードも買わないといけないんだった。いくらだったっけ、エチュードってめっちゃくちゃ高いんだよな。そうか……1冊5000円か。

毎月毎月、費用が嵩む。月2万円の親からのお小遣いも、忙しくてシフトにも入れないなけなしのバイト代も、何もかもオーボエを練習するために飛んでいってしまう。
平成の年頃の娘だというのに、私はどこぞのシューベルトか。いや、シューベルトはいい。男だから、化粧をする必要がない。あの時代の人だったら、きっと服だって持ってて2、3着だろう。なんせ、紙代を惜しんで超キツキツに楽譜を書いていたそうだからな。
直筆符ではデクレッシェンドも、それがデクレッシェンドなのかアクセントなのか、わからないほどらしい。私は見たことがないからわからないが……。そんなことはともかく。

「音楽なんて金にならない」。祖父の言葉は呪いのように今蘇る

小学校1年生の時、ピアノを始めた。それが嬉しくて祖父母に報告すると、祖父は「ピアノなんか金にならないこと、やめなよ」と言った。
その言葉はずーっと私の心の中にあって、高校も音楽コースに通い、一浪して憧れの公立の芸大を卒業し、ヨーロッパの大学院に進学した。でもずっと、金にはならなかった。音楽の勉強をする分の費用さえ、音楽で稼ぐことはできなかった。
世知辛い。30分の演奏会を3回、1日拘束されて交通費込みで5000円。たびたび依頼される無料演奏や無料レッスン。視聴回数の伸びないYouTubeチャンネル。こんなに辛いのに、こんなにずっと練習しているのに、高い参加料を支払って1次で落とされてしまうコンクールと、伴奏者を連れて行って受けなければならないオーディション。
今になって呪いのように祖父の言葉が蘇ってくる。
「音楽なんて金にならないこと、さっさとやめてしまえば良かった」

「今度、服買ってあげるわな」
趣味は買い物で気分屋の祖母は、しばし私にそう言っていた。祖母は服や靴、アクセサリーやバックに時計などは、名札も見ずに買ってくれていた。けれど私は、服よりもリードを作る機材や高い楽譜や本が欲しかった。
そう伝えると、祖母は急に渋り始める。ブランド物の服なら10万でも20万でも、いくらでも出してくれるのに。楽器も「今度新しい楽器買ってあげないとな」と言ったのに、「この楽器が欲しいんだけど……」と言いにいくと、「誰がいつお金出すって言った?」と意地悪な顔をして言う。

どんなにがむしゃらに走っても、結果は簡単には出てくれない

何より不服なのは、「クラシック音楽の勉強をしている」というと「さぞお金持ちのお嬢さんなんだろう」という意味のことをよく言われてしまうことだ。
両親は必死になって私が音楽を続けられるように、色んなところからお金を工面してもらっていたし、父もずっと馬車馬のように働いている。私も娯楽や趣味を捨てて、友人との交際費も控えて、新しい服を買うのも美容院に行くのもやめて、音楽の勉強をしてきた。
しかしどんなにがむしゃらに走っても、結果は簡単には出てくれない。お金と時間だけが無駄に過ぎていっているようで、心はどんどん沈んでいった。落ち込んでどうしようもなくなっているところに、母は私に言葉をかけた。
「なんか、成し遂げてみろよ」

人生が、音楽がこんなに苦しいものになるなんて、思いもよらなかった。オーボエから距離を置いて、バイトもせず、残った留学資金を食い潰しながら、ダラダラと就活と婚活を同時進行して、この先がどうなるか分からない期待と、未来のために何をしたらいいのか分からない絶望を繰り返しながら、毎日生きている。