私にとってのオーボエという楽器は、姉妹や友で、師匠や母のようでもあり、そして敵やライバルのような存在でもある。

私がオーボエと出会ったのは、中学1年生の頃。本当は別の楽器を選びたかったけれど、運命の悪戯かオーボエが私の腕の中に飛び込んできたのだ。そして、オーボエと出会ってからは、恐ろしいほど人生が思い通りに進むようになった。

私の人生はゆっくりではあったけれど、順風満帆だったのかなと思う

生まれ持った才能で、私は大抵の楽器なら半年もあればそれなりに演奏できるようになる。オーボエも例外ではなく、半年も練習していると、色んな人から褒められるようになった。

すると学校で借りているボロの楽器では物足りなくなってきて、自分の楽器が欲しくなってきてきた。母に相談すると新しい楽器ではなく、なんとオーボエの先生を連れてきてくれた。そして、先生はちょうど自身の新しい楽器を選定中で、迷っていた2本の楽器の1本を私に譲ってくれた。鴨がネギを背負ってきたような状況である。

そして、大学は一浪はしたものの無事に志望校に入学し、小さい頃からの夢だった留学まで叶えることができた。私の人生はゆっくりではあったけれど順風満帆だったのかなと、今になって思う。

けれどここにきて、色んな不運が重なり、心の体調を崩してしまった。昔からストレスが体調に出ることは少なくなかった。毎朝ルーティンのようにえづいてから登校していたり、大学を入学しあまりの環境の変化に全身に蕁麻疹が出て2日間ほど寝込んだり、ストレスからきた生理不順や、胃腸の不調、不眠症に希死念慮。

色々思い起こされるけれど、ここ数ヶ月の間に、それら全部の波が一気に押し寄せてきてしまったような感覚だった。毎朝ベットから起きるのも一苦労なのに、なんとかして起きなければ、と重い体を起こして顔を洗う。

不運が重なり心の体調を崩してしまった。私はクリニックを受診した

生きている意味があるのだろうか。どうして生まれてきてしまったんだろうか。なぜ神様は、私に生を与えたのか。どうして両親は私を産んで育てたんだろうか。どうして、どうして……。

そんな疑問ばかりが、頭の中でぐるぐると回り続けた。話す気力を失い、声は出なくなった。なぜだか記憶力も薄れ、判断力もどんどんなくなっていくのが、自分でもわかった。何か大切なことを考えていると、胸が苦しくなって頭が混乱してしまう。

頭の中の私はずっと、暗闇の中で一歩踏み出す勇気も出ないで立ちすくんでいた。心の中でどんどん深く沈んでいく私と、このままではいけないと思う前向きな自分が戦っていて、後者の私が頑張ってくれたおかげで、ようやくメンタルクリニックを受診することを決意した。

「私は、病気なのでしょうか?」先生にそう尋ねてみた。先生は少し困ったように唸って、「症状としては鬱病だけれど、線引きは難しいかな」と言った。

そして、抗不安薬を処方してくれた。副作用で眠気がくるので、夜に服薬することでとりあえず睡眠の質から整えていこう、という治療方針だった。

私を愛してあげられるのは私以外の誰でもない。私も良いところはある

その受診と同時期に、オーボエの先生から仕事の連絡が来た。プロのオーケストラの中で、エキストラとして演奏する仕事だ。正直、引き受けるか迷った。今の私に、務まるだろうか。しかし不調だからといって、その機会を逃すのは間違っているとも思った。

自分なりにできる限り準備して行ったけれど、結果は散々だった。たくさんの人たちに迷惑をかけてしまった。先生にもこの状況を説明し先生もそれを理解して、それでも私が一人の音楽家として生きていけるように指導してくださった。

もしかしたら、今回が私の人生で最後の、プロのオーケストラの中で演奏する機会だったかもしれない。私はもう疲れてしまった。オーボエ奏者になろうと決意してから、自分の出来ないことばかりに向き合ってきた。もっと上手く、もっと知識を増やして、全てを音楽に捧げて……。

それは一種のネグレクトだったんじゃないかと、思い始めている。私は、本当の私とは向き合っていなかったのかもしれない。私にだって良いところはあるし、人よりも上手にできることだってある。

オーボエという難しい楽器に出会ってしまったから見失っていた私の良さは、誰が愛してくれるんだろうかと考えたとき、それは私以外の誰でもなかったのだ。

仕事が終わって数日後、ついに私はオーボエを吹けなくなってしまった。音が出ないのだ。楽器の不調かと思ったけれど、原因は私なのか楽器なのか、もはやわからない。

とりあえず私は、休まなければいけないのだろう。休んで何が変わるのかわからないけれど、私の足はもう動かない。前に進む勇気も、後ろに下がる決意も、別の道を選ぶこともできないでいる。