どこで道を間違えたのか。いつ神様に見限られたのか。
いつも吹いていた追い風は、いつの間にか向かい風になって、私の体力を蝕んでいた。するとあんなに大好きだった音楽が、オーボエが、好きかどうかわからなくなってしまった。それほどくたびれてしまった。

全てを音楽に捧げることを決意してから10年。疑うようになった幸せ

挫折というとあまりにも残酷で、あまりにも惨め。けれどこの先、私が歩む道は敗者の道なのだろうか。それとも、私が私らしく生きられる、幸せの道なのだろうか。
もし神様が目の前に現れて、「一度だけ人生を巻き戻して、その地点からやり直しさせてあげよう」と言ったら、私はいつの自分に戻りたいだろうか。

ストレスで体調を崩し始める直前?留学が始まる前?大学院の受験前?大学を卒業した時?いや、それかもっと前の、楽器を始めた中学の頃か。

京都市立芸術大学に進学したいと決意した高校1年生の頃、私は全ての時間とお金を音楽と楽器に捧げることを決意し、それから10年程そうやって生きてきた。
その10年間は若くて気力が漲り、体力もあった。何より無邪気に、自分は成功する人間だと、運が味方している人間だと、信じてやまなかった。だから、盲目的に一つのことだけに集中するよう自分を律し、娯楽にはできる限り目を向けないようにしていた。

しかし、コロナ禍で多くの思考の時間を持つことで、ふとこのままで幸せになれるのだろうか、と疑い始めるようになった。
もちろん音楽家として成功できれば、きっと忙しい中でも多くの幸せな瞬間に出会い、愉快な人生が待っているだろう。しかし音楽家として生きていこうものなら、音楽だけを追求し、自分の人生のほとんどの時間を、音楽に捧げなければならない。それをできる人が、音楽家になれる。それが最低条件である。

興味のあることが多すぎる人生。一つのジャンルにだけ捧げられない

私はその条件に当てはまっているのだろうか。
答えは、否である。
私は次第に、音楽とオーボエだけに人生を捧げることが、もったいなく思えてしまったのだ。一つのジャンルだけに私の人生を捧げるには、興味のあることが多すぎる。

もちろん音楽の研究は、生涯どれだけ学び続けても果てしないほど深いものであるから、まだまだ勉強はしていきたい。特に明治以降の日本人音楽家についての研究は、今後も進めていきたいと思っている。しかし私は、音楽以外にもたくさんの興味深いものを知っている。例えば美術や世界史に日本史。世界の文化や宗教も面白い。

そして多くの人が普通に体験していく普通のことを、普通に体験していきたいと願ってしまった。
恋だってしたいし、結婚して子どもだって欲しい。可愛いメイク用品も欲しいし、好きな服や靴を買って、素敵な自分になりたい。将来は世界中の様々な土地を旅し、どこかに土地を買って家を建てたい。

将来的なことはもちろん、その夢を叶えるには私の今の無収入という状況をなんとかしなくてはならない。
何かに特化した人生を歩もうと思うなら、人として経験できる最低限のことさえも諦めなければならないのだろう。成功者の人生は、それほど多くの自己犠牲がある。
けれど、舞台に上がったプロの音楽家は、あんなにも輝いて見える。なぜならば、そこに彼らの幸せがあるからである。

気づいてしまった「私にとっての幸せ」と、楽しみでしょうがない未来

普通の人の得られる幸せを求めてしまった私は、もうプロの音楽家になるための素質を失ってしまった。もしそれを気づく前に戻ることができたら、もしかしたら素晴らしい音楽家たちに肩を並べて生きていけたかもしれない。
しかし私は、それが私にとっての幸せな人生でないことに気づいてしまった。

今はまだどう生きることが、私にとって幸せなのか見つけ出せていないけれど、希望を失った訳ではない。一つの道を諦めたことで、私はこの先何にでもなれる。

私は今、就職活動をしている。さすがに全く音楽と関係のない仕事を選ぶことはできずにいるけれど、舞台上で演奏すること以外にも音楽と関わっていける仕事はたくさんあった。

もし就職がうまくいけば、大好きな音楽と音楽家の皆と密に関わりながら、音楽の勉強を続けられるし、その上で自分の趣味の時間も持つことができる。そんな未来が楽しみでしょうがないのだ。