オーボエ一筋15年、一浪してでも公立の芸大に入学し、留学してまで音楽の勉強を続けてきた私の「就活」とはただ一つ。
いつ出るかわからないプロのオーケストラ団体の「奏者募集」の文字を探し出して、所定の申し込み用紙に履歴を書き込み、締め切りまでに送付し、招待状が来るのを待つ。
招待状とは、書類審査に通った者だけが受けられる、一次審査の受験票である。
協奏曲全楽章とオケスタ全曲を練習し、審査はたった数分で決まる
一次審査の受験票は大抵、当日の案内とオーケストラスタディの楽譜が送られてくる。オーケストラスタディ(通称オケスタ)とは、オーケストラの曲の重要なパッセージを抜粋されている楽譜のことで、オーケストラに参加する楽器を専攻する学生は、みんな必ずそれを練習している。
そして一次審査の会場に行くと、受験者が演奏するべき箇所を指定され、音出しのできる控室に通される。オーボエの場合は大抵、モーツアルトの協奏曲を演奏するので、必ず伴奏者を同伴しなければならない。けれど、当日受験者に与えられる時間はおよそ3分から5分。まず協奏曲の1楽章と2楽章を演奏し、それが審査員である楽団員の耳に止まれば、オケスタも吹かせてもらえる。
私は過去に4回受けてきたが、オケスタはおろか2楽章も吹かせてもらえなかった。途中で止められて退場させられて、伴奏者と顔を見合わせて苦笑いする。
この数分のために、私は協奏曲全楽章とオケスタ全曲を練習してきた。そして伴奏者は、私のために協奏曲全楽章の練習をして、丸1日を開けてくれた。
何とも言えない気持ちになってそっと会場を後にする。そして伴奏者に会場までの交通費と1日分の謝礼を手渡す。
私は別にいい。仕方のないことだ。しかしいつもたった数分、たった数ページのために労力を費やしてくれた伴奏者に対して、申し訳なく思う。
負け戦に挑む私の気持ち、誰が理解できよう
チャンスの女神は前髪しかないとはよく言ったもので、日本にあるオーケストラの数は限られているし、多くの奏者が長くその楽団に所属するので、オーディションの募集が行われることも滅多にない。
2021年は比較的オーディションの多い年で、私が把握しているだけでも6つのオーケストラがオーディションを開催していた。そして一次審査を受けるのは40人から70人の若手から中堅のオーボエ奏者たち。一次審査より先に行ったことがないので、その先の世界の説明ができないけれど、大抵が一次審査で10人以下に絞られ、そこからたった一人の入団者が決定されるのだ。
団員に気に入られる者がいなかった場合は、合格者なしで終わってしまうこともある。
それが私の、「就活」だった。
四回生の頃と今と、楽器を専門に生きていない人たちは、いつも私の就活がどんなものなのか疑問に思う。そして上に述べた話をすると、「それって受かる可能性、高くないよね?」と心ない言葉もかけてくる。
そんなこと、私が一番知っている。いつも負け戦に時間とお金を費やしている私の気持ちは、誰が理解できよう。
音楽を始めた頃から、将来はオーボエ奏者になるためだけに生きてきた。気づけば、オーボエを吹くしか能のない人間に成り果ててしまっていた。
音楽奏者に職なんてないと言うけれど、誰がこんな社会を築いたのだ
大学の入学式の時に、音楽学部学部長の先生が言った言葉がずっと心に引っかかっている。
「この大学を出たところで、職なんてありませんからね」
それは新入生を鼓舞するために言ったのだろうが、今になってその言葉に抗議したい。大学を卒業したところで仕事にありつけない社会を築いてきたのは、一体誰だというのだ。
このままでいいはずがない。クラシック音楽の奏者というと優雅でお金持ちのような勘違いをされるが、ほとんどがバイトで生計を立てながら、手放すことのできない楽器でコツコツと生きているのだ。
まるで若手芸人と同じである。世に出るチャンスなら、若手芸人の方が多いのではないだろうか。
何をどうすれば良いのか、今の私には分からないけれど、このままでいいはずがないのである。