三姉妹の長女のわたし。ちなみに平成生まれ。
親は、特に長女のわたしには期待が大きかったのか、三姉妹の中でも1番躾けが厳しかった。それこそ、親もわたしを産んでから“親”になるものだから、育て方に慎重だったのかもしれない。

必死に周りのお小遣い事情を説明しても、全く聞き入れてもらえず

年頃の女の子だった頃、「お金が欲しい」と強く思い始めたのが、学校での“お小遣い格差”。
わたしが貰っていたお小遣いは雀の涙ほどだった。
簡単に言うと、高校生の時に友達が月に1万円貰っている中、わたしは月に1000円。
必死に周りのお小遣い事情を親に説明するが全く聞き入れてもらえず、頑なにわたしのお小遣いは周りと比べ底辺値だった。
わたしの家庭は、父親が自営業をしていて貧しいほうではなかったが、親の価値観が世間の時代とかけ離れた“the昭和”だった。

学生とはいえ、友達付き合いもある。
毎回毎回、友達からの誘いを断っていると付き合いが悪いヤツと思われ、だんだん誘われなくなってくる。
1000円では貯金なんて論外。
月に1回、友達と出掛けるだけで消えてしまう。
洋服はほとんどが従兄弟のお下がり。
好きな洋服をねだっても買ってもらえない。
長女なのに新品の洋服が着られないし、好きに選ぶこともできない。
大学受験にかかる試験の費用も、自分で捻出していたくらいに、親が相当なケチだった。

子どもながら、ひもじい思いをしていた記憶。反骨心剝き出しに

わたしの家にお金がないのではなくて、わたし個人の使えるお金がないのだ。
子どもだから、働いていないのだからそれは当たり前のことなのだけど。
陰で甘やかしてくれるような存在であろう祖父母は、亡くなっているのでいない。
お金がないとなんて不自由なんだと思いながら、アルバイトができるようになるまでの辛抱と耐え忍んでいた。
子どもながらに、ひもじい思いをしていた記憶が強い。
「なんでこんな貧しい、恥ずかしい思いをしないといけないんだ。絶対、わたしは子どもに同じような思いはさせたくない。絶対、わたしは裕福になる」
と、反骨心剥き出しでギラギラして、社会人になって家を出て働き出した。

20代前半、本当にその言葉通りに、お金を稼ぐことに執着しギラギラ燃えていたと思う。
平日は正社員をしながら、休みはバイトに充てていた。
お金がたくさんあったほうが幸せになれる、自由になれると思っていた。
お金や稼ぐことの何が楽しいのかと言ったら、お金は明確に数値化されているから、どれくらい頑張ったかが目に見えてわかりやすいから楽しいとわたしは思う。

お金で満たされるのは、ただの自己満足と通帳くらいなのかも

ただ、そのお金に対する執着も長続きするものではなかった。
昔のひもじい記憶は、時間とともに薄れる。
貯金がある一定の、友達よりかは持っているだろうという勝手な認識のボーダーにくると、仕事に対する競争意識、意欲が急激に落ちる。

貯金が少し出来たかなと自己満足している20代後半、ふとわたしは気付く。
お金があっても、結婚できるわけじゃないんだよな、と。
貯金がわたしほどなかったとしても、みんな幸せそうに結婚していってるんだよな、と。

貯金が本当に少なくても、結婚して幸せそうな家庭はたくさんある。
何もお金があるから幸せになれるというものでもなかったのだ。

お金で満たされるのは、ただの自己満足と通帳くらいなのかもしれない。
ただ、自分に関係してくれている人たちに何かあった時には、助けられるようにと、自分が稼ぐ!という意識はこれからも持ち続けたいと思う。
それと、わたしにとって大切な人たちを守るためにもお金を使いたいものだと思う。