初の一人旅。自分が想像もしなかった人や場所と出会えた
コロナが全国的に流行り出す直前の春休み、大学3年の私は人生で初めての一人旅として、広島に向かった。
広島を選んだのは、人生で一度は原爆資料館に行かなくては、という思いがあったから。縁もゆかりもない場所だったが、直前まで時間がなくて、旅行の計画は宿泊場所しか決まっていなかった。
一人旅だから、もちろん喋る相手がいない。言葉で発散ができないと、頭の中に感情が吹き溜まって結構苦しい。だから、旅の前半は人と出会うことが第一の方針になった。
ゲストハウスに居合わせた人を誘って出かけたり、飛び入りで参加したイベントで会った人と、人生初のヨガに行ったり、その人が教えてくれたバーで隣のおじいさんとママとお話したり、自分が想像もしなかった人や場所と出会うことができた。
一人旅の良いところは、隙間が生まれること。新しい人と出会えるスペースが自分の中に空くこと。そこにたくさんの偶然やご縁が入り込む。自分の計画や狙いの外に身を晒した先で、たくさんの素敵な出会いに恵まれた。
ここまでなら、一人旅って良いね、という話で終わるのだが、私がこの旅に感じる意味はもう少し別のところにある。
それは、人と一緒にいる自分を好きになれたことと、「私はやっぱり人が好きだ」と思えたことにある。
人と一緒にいる自分が嫌いだった。やりたいことを出来なかった
私は中学生の頃から承認欲求が凄まじく強く、「みんなのため」と言いつつ、心の中では「自分を褒めてくれ!」という欲望で溢れていた。誰かに認めてもらうために行動するのではなくて、自分がやりたいことをやればいいのに。でも出来ない。そんなことばかりを繰り返していた。だから、私は、人と一緒にいる自分が嫌いだった。
認めてくれ、褒めてくれ、私を必要としてくれ。
自分の汚いエゴが湧き上がるのを否応無しに突きつけられるから。
大学入学後は、そういう自分と距離を取るために、サークルや部活には入らなかった。コミュニティと呼べるようなものには、片足だけ突っ込むようにしていて、複数の場所に少しずついるような形で、人の集まりとは距離を取っていた。
それにも関わらず、そういう自分は、人として欠陥があるんじゃないか、と感じていた。人と一緒にいることから、逃げているだけじゃないのか。そんな自分への疑いが起こっていた時に、広島での一人旅に向かった。
今でも私の、人との距離感に対する感じ方を肯定してくれている
端的に言えば、私は、広島での一人旅のときの、色々な人に出会って色々な人に「片足だけお世話になる」みたいな自分が、すごく好きだった。
私は私の、心地よい人との距離感があって、それは一人旅で一人っきりになるという「極端」を知らないと分からないことだった。人との交流を断つと、人と話たい気持ちがちゃんと湧いてくる、ということもわかった。
ちょっとだけお世話になるような、行きずりの間柄でも、有難いことに助けてくれる人がたくさん広島にいたおかげで、「片足だけのお付き合い」だっていいじゃない、と思えた。
そして何より、今までコミュニティに所属してこなかった自分を責めるのではなく、「今まで頑張ってきたんだね」と思うことが出来た。一つのコミュニティに所属出来ないからこそ、それでも人と生きるための方法として、色々なところに少しずつお世話になる、というやり方を培ってきたのだ、と自分のことを認めることが出来た。
何かの経験を失う代わりに、それとは別の経験をちゃんと得ていたことに気付けた。
「自立とは、依存先を増やしていくこと」
この言葉を、大学一年生のときにお世話になった人から教えてもらった。これは、熊谷晋一郎さんという研究者の言葉だ。以来ずっと私は、「片足だけお世話になる」ような依存先を各所に増やしながら、生きてきたんだなということを、この旅で振り返ることができた。
この言葉と広島での旅が、今でも私の、人との距離感に対する感じ方を肯定してくれていて、「自分の心地よさを無視しないで」「自分の感覚を認めていいんだよ」と思い出の中から声をかけてくれている。