夏が終わり、秋が始まりかけた10月の日曜日の朝6時。私は中学生のころから使用しているリュック1つと、父から譲り受けたコンパクトデジタルカメラを持って、家を出た。
スマホに表示された、片道の広島行きの新幹線のデジタル切符を見つめて、私は複雑な気持ちだった。
周囲に「やる気に満ちている」と言われた私は精神状態に異変を感じた
「2週間休みたいです」と、私の突然の申し出を耳にした上司は戸惑った。私の会社では2週間の休みを取ることは、そこまで珍しいことではないが、プロジェクトの予定が既にぎっしりと詰まっている中で、突然席を空けるとなると、影響は少なくはないのだった。
今まで、「いつも元気でやる気に満ち溢れていていいね」とも周囲から言われていた私は、自分自身の精神状態に異変を感じていた。
いつしか、私の元気ややる気は、自然的なものではなくて、自分から造り出されたものになり、自分の心に言い聞かせるための嘘のようになっていた。みずみずしく輝いていた気持ちが、アルミホイルのように、薄くて張り詰めるような気持になっていた。上司は、PCの画面やデジタルの音を通じて、そんな私の嘘に気づけたはずがなかった。
しかし、上司は大ウソつきの部下に対して嫌な顔を一つせず、「リフレッシュしてください」と指示してくれたのだった。
広島に行くことを決めたのは、その後のノリにすぎない。休みたかったとはいえ、空白の2週間をどう過ごすかは、まったく決めていなかった。目前には資格の試験も控えていたし、まだコロナウイルスの影響で自粛モードが続いていた。
同棲している彼氏がそんな私を見かねて、「旅に行きなよ」と何度も何度も言葉をかけた。「2週間も休めることなんてそんなにない」という言葉に説得され、ようやく私は重い腰をあげることになった。
勝手に疲労を癒すイメージがある「海」「離島」「天気がいいところ」「自然」等とキーワードを並べ立てた。たまたま、条件にヒットしたのは「広島」だったのだが、「小豆島」のある一つのペンションのHPにも目が留まってしまい、広島行きの翌日の新幹線のチケットと、4日後の小豆島のペンションの宿泊予約だけを取った。
彼氏のすすめで、ぎっしりと予定を詰め込むことをせずに、その後の旅行の行程は、新幹線に乗ってから決めることにした。新幹線の中で、窓の外の流れていく街並みを横目に、図書館で借りた旅行のガイドブックをぱらぱらとめくりながら、駅弁を食べた。
初の「一人旅」にワクワクしながら、楽しめるかどうか不安だった
新幹線に乗って広島に着くまで、ワクワクしながらもずっとどこか一人で楽しめるかどうか不安になっていた。一人カフェすらできない私が一人旅をするというと、家族も友人も驚いた。
私は昔から、一人で行動することがあまり得意ではない。カフェに入ってもすぐに出たくなるし、サウナに入って一人で考え事をするのも苦手だった。友人には、「一人で何が楽しいの、暇そうじゃん、何かやることあるの?」とまで聞いてくる人がいた。
私自身が全くその同じことを思っていたので、言葉を返すことはできずに、ただ「わからない」と笑った。もしも、楽しくなかったら、切り上げて早々に帰ってこよう、と自分に言い聞かせて、安心させた。
国内の旅行とはいえ、地域が変わると、町や出会う人の雰囲気は全く違うので、日常から逃れ、刺激を受けることができる。
旅先で出会った喫茶店の店主の方、ペンションのオーナー様と家族や売店の女性等は、東京から訪れた私を温かく迎え入れた。私に対して、ゆったりとした話し方で、「旅は楽しめているか」「いつもはどんな仕事をしているのか」等と立ち入りすぎない程度の距離感で声をかけた。別れるときには、いつまた出会えるかもわからないのに、必ず「またね」と送り出してくれた。
温かい人に包まれていたからか、不思議なことに、自分だけが「旅行者」のような感覚はなく、不安や孤独といった感情は全く出てこない。町の中でも、人々の顔色をうかがいながら、あの人も一人旅かな、あの人は出張だと色々と妄想し、旅行の終始、穏やかな気持ちで新たな土地を楽しめていた。
旅行前の私は、何かを探し追い求め、仕事も生活を常に急いでいたけど
一人で旅をしていると、電車に揺られる時間、目的地に向かって歩いている時間、ご飯を食べてからホテルにチェックインするまでの時間等、あらゆる場所に空白がある。旅の始めは、この空白をどう埋めるかに気を取られていたように思う。
スマートフォンをいじって地図を睨みながら、街中を足早に歩いていた。インスタを見て気になっていたベーグル屋さんの抹茶味のベーグルも、カープファンに囲まれながら並んだあつあつの広島焼きも、黙々と丸呑みするくらいのスピードで食べてしまった。
空白の時間が空白のままで美味しいとようやく感じるようになったのは、旅の終盤である。小豆島に到着したくらいになると、ぶらぶらとあてもなく街を歩き、ふらっと喫茶店に入り、店主と会話を楽しみながら、アイスコーヒーを飲んだ。ベンチがある場所や海
岸の大きな岩に腰を掛けて、小豆島を舞台にした小説「二十四の瞳」によみふけっていた。
時折、海に目を向け、海や空の色の移ろいや波の高さを確認していたが、空がピンク色になり、そのピンク色もあずき色に変わってきたころに、ペンションに帰った。
旅行をする前の私は、「何か」「目的」を探し、追い求め、仕事も生活も常に急いでいた。他人から見えている自分ばかりに気をかけ、「もっとこうなりたい」「こうならなくてはいけない」と、自分を否定してしまっていた。
向上思考が強いと自己否定になりがちだが、自分を否定してばかりでは生きていけなくなってしまう。これからは、たまには、ペースダウンしてゆっくり歩いて、おいしい空白を楽しんで、空の色の移ろいに目を向けながら、生きていきたいと思った。
「小休止」があるから音楽は流れる。毎日忙しいのが嫌だと感じる方、現在ひどく疲れている気がしている方、将来に不安を抱いている方には、一人旅をおすすめしたい。
どんなエステやマッサージよりも、見失った自分自身の心に目と耳を澄まして、自分と向き合うということが必要な場合がある。一人旅は、心身共に休むことができる最強のセルフメディケーションの手法の一つだと感じた。