「あれ?電波が悪いみたいです、一旦切りますね」
そう言って、通話終了を押した瞬間、笑いが込み上げてきた。
それは、佐渡島に行った時のこと。職場からの着信履歴に気付き、宿に着いてから電話をかけた。幸い用件はすぐに済んだが、通話相手はついでとばかりに、急ぎでもない仕事の話を始めた。
通話終了した途端に込み上げる笑い。旅をする理由を自覚した瞬間
すると、まるでそろそろ切り上げたい思いを察したかのような、絶妙なタイミングで、相手の声に「ザーッザザッ」と雑音が混じったのだ。
しばらく粘って通話を続けたが、音は途切れ途切れ。ついに、冒頭の台詞とともに、スマートフォンの通話終了をタップしたのだった。
特に面白いことがあった訳でもないのに、自然と笑いが込み上げ、宿のロビーでひとり、「んふふふ」と笑った。
私が旅をする理由を自覚したのは、その瞬間だった。
就職するまでは、旅というと、いつも誰かと一緒だった。家族や友達と旅行に出かけ、一緒に何かを体験したり、美味しいものを食べたり。それこそが、旅の楽しみだと信じていた。
社会人になり、土日の休みが取れなくなると、生まれて初めて、一人で旅に出た。
最初は、不安でいっぱいだった。
もともと人と関わるのは苦手、何をするにも他人の目が気になって仕方がない私。まずは、「女性の一人旅におすすめ」とされる出雲や京都に行ってみた。
しかし、「こんなお店に女一人で入って、どう思われるだろう」と人目を気にして飲食店に入れず、コンビニで買ったご飯を、ホテルの部屋で寂しく食べた。
ほしいのは、解放感と「連絡がとれなくても許して」という言い訳かも
もっと、もっと人がいないところへ、と何かに追われるような思いで、次の旅には北海道を選んだ。
そこから数年間の旅の行先は、箱根、佐渡島、清里、石垣島、西表島、定山渓、宮古島などなど。こうしてみると、離島や山奥ばかり。
最初は無自覚だったが、ある時、気付いた。私がほしいのは、誰の目もないという解放感と、「ちょっと電波の通じない場所に行くので、連絡がとれなくても許してね」という言い訳なのかも、と。
そんな理由?それなら、わざわざ旅に出なくても「連休中は仕事の連絡はしないで」と頼めば済む話ではないか。ところが、これがなかなか難しいのだ。
一度でも「そんな用事で休み中に連絡して来ないで」などと言おうものなら、周りの人はその先ずっと「伝えてもいいけれど、休みに連絡すると怒るからやめておこうかな」と考えてしまうだろう。それは、私の主義に反する。
いっそ、海外旅行という手もある。だが、人見知りな人間にとって、右も左も分からない異国の地で、頼れるのは言語の通じない他人ばかり、というのは少々ハードルが高い。
緊急時は一応連絡がとれて、何かあっても大抵自分でどうにかできる環境でありながら「やむを得ず」時々、電波が通じなかったりする、くらいがちょうど良い。
我ながら、結構わがままだな、私。
要するに、引きこもりたいのだ。仕事の連絡からも、近隣の知り合いからも、独り身のアラサー女に向けられる視線からも逃れて、ただただ自分一人の世界に引きこもっていたい。
出掛けた離島や山奥で、一人たたずむ瞬間が、たまらない
旅が好きなんて、いかにもアウトドアな印象で、引きこもりとは対極に見えるかもしれない。実際、趣味は旅行だという人からは、「旅先で知らない人と出会うのが楽しい」とか「旅行好きのコミュニティで情報交換」といった話もよく出てくる。
しかし、私のそれは、行動こそゴーアウトだが、動機はもっと内向的な「人と離れたい」という、どうしようもない衝動なのだ。
そうして出掛けた離島や山奥で、一人たたずむ瞬間が、たまらない。
数年前の年末休暇で出掛けた、西表島の山の中。真冬だというのに、木々や雑草が生い茂り、たくさんの鳥や虫がいた。「森の中に一人」と聞くと、音もなく静かな様子を想像しがちだが、実際は、すぐそばでトゲトゲのついた葉がガサガサ鳴り、小さな羽虫が飛び回り、時々ふいに鳥やカエルの鳴き声がした。
東京から遠く離れた秘境の地で、「森の中に一人」のシチュエーションは、深夜のオフィスよりもずっと騒がしいことを知った。
旅から帰ればまた、電話にメール、お客様や上司や部下の対応に追われるけれど、一瞬目を閉じて、森の中に一人で立っていた瞬間がはっきりと思い出せるうちは大丈夫。
この世界には、私の容姿や年齢、人間関係なんて気にも留めず、引きこもらせてくれる場所があることを、知っているから。