緊張と不安で【予約確定】のボタンを押すのにひどく時間がかかった
私は幼少期、家族や友人とどこかへ1泊するような旅行をした記憶がない。家族で遠方に出掛けるときも、ほとんどが日帰り。だから、夏休み明けに同級生がディズニーランドや海外旅行に行った話を聞くと心底羨ましかった。
だからなのかはよく分からないが、私は短大に入学し“TABI部”というサークルに入部した。その名の通り自分で行先を決め、全て自力で旅の手配をし、旅に出るというサークルだった。
当時19歳だった私にとって飛行機や宿の手配はどれも初めての経験で、緊張と不安で「予約確定」のボタンを押すのにひどく時間がかかった記憶がある。
TABI部の活動では自分の住む九州を飛び出して日本国内を旅したり、屋久島に3泊4日、泊まり込みで縦走をしたりもした。バイト代のほとんどが学費と旅費に消えてしまうくらい本当に様々な土地へ旅に出たなぁと思う。約10年経った今でも鮮明に思い出すことが出来るくらい、どの旅先での出来事も強く記憶に残っている。
インドネシア語に苦戦。11名分の航空券と宿の手配でどっと疲れた
その中でも特に忘れられない旅先がインドネシアのバリ島だ。
私は当時短大3年生(3年課程の学部に通っていた)でTABI部の部長をしていた。顧問である教授の知り合いがバリ島にいるとの理由でバリ島旅行を企画することになり、参加者を募った。
集まった学生は1年生が9名。私の妹も同じ短大に通っており、私がいるなら行きたいと参加を申し込み、最終的な申し込みは10名。私は部長として10人の後輩を引き連れてバリ島へ行くことになった。
海外旅行の経験はあったものの、慣れないインドネシア語に苦戦し、11名分の航空券と宿の手配だけでどっと疲れた。旅行当日までの間に数回全員で集まり、旅程の確認やバリ島での注意事項の共有をしたり、現地でお世話になるコーディネーターに連絡を取ったり、部長としての仕事が山積みだった。
そして迎えた旅行当日。関西空港からの出発前、最後の日本食として各々朝食を食べた。
「何事もなく、安全に、楽しく、11人で帰って来られますように」
そう私は強く強く祈りながら、妹とすき家で朝食を食べた。
日本から離れた異国の地で楽しんだ観光。思い出に残るカヌー
デンパサール空港に到着し、現地のコーディネーターと合流すると緊張の糸が切れた。
バリ島ではウルワツ寺院でバリ島の伝統舞踊であるケチャダンスを見たり、ウブド市場で現地の商売人と値段交渉をしながら買い物をしたり、日本から離れた異国の地で観光を楽しんだ。
しかし、その旅行中にもサルに荷物を盗まれたり、参加者の1人がナイトクラブに行ってスマホを紛失したり、現地人から騙されかけたりトラブルも頻発した。
そんなバリ島旅行中盤に差し掛かったある日、コーディネーターが私たちを急流下りのアクティビティに誘ってくれた。それはカヌーで急流を下り、最後にその川にダイブするというものだった。
2チームに分かれてカヌーに乗り込む。急流下りは川の流れが激しく、体力をとても消耗したが、最後に全員で川に飛び込むのも含めてとても楽しく、思い出に残るものだった。
「はー!楽しかったぁ!」
そう思いながらその日は布団に入ると、あっという間に眠りについてしまった。
私が病院から戻ると、後輩たちは楽しそうに出来事を話してくれた
次の日の朝、体中の倦怠感と顔の灼熱感に目が覚めた。
顔が熱い。鏡を見てみると自分の顔が普段の1.5倍に腫れあがり、目もうまく開けられないくらい赤くただれていた。
私の顔を見た全員がすぐに心配してくれて、海外旅行保険を使って現地の病院を受診した。どうやらストレスや心身の疲労の影響で、急流下りで飛び込んだ川の水質が皮膚に強い刺激を与えたのが原因らしかった。その病院で私は数種類の薬を処方され、点滴を打って帰宅した。
私が病院に行く前、妹や他の後輩たちはとても不安そうにしていたが、私が病院から戻ると私が不在の間に訪れた場所の話や、出会った現地の方々との話を楽しそうに話してくれた。
「なんだ、私が一人で頑張らなくても、みんなちゃんと出来るし、大丈夫なんだ」
話を聞きながら私はそう思った。
私は10人を引率するという責任感に囚われすぎていて、その思いだけが勝手に先走り、一人で何もかも背負いすぎていた。後輩たちは全員ちゃんと頼りになるメンバーばかりだし、私がそのメンバーの活躍する場を摘み取っていたのかもしれない。
私が不在の間に後輩たちも少し成長していて、私もその時に一人で頑張りすぎるのではなく周りに頼ることを学んだ。その後は帰国するまでの間に後輩たちに色々なことを頼った。頼りにされた後輩たちの顔はみんな嬉しそうで、もっと早く頼りにしていればと思った。
バリ島での一週間はあっという間に終わった。現地で病院にお世話になったことも今では笑い話になるくらい、私の中でのいい思い出だ。
もうこのメンバーでバリ島に行くことはないけれど、周囲に頼ることを学べたこのメンバーにもう一度ありがとう、と感謝を伝えたい。
「Terima kasih」