私だって怒る。
2022年は怒りの感情を大切にしたい。

私は、幼い頃から厳しい親に育てられ、何をするにも親の決めたこと通りに行動することを強制されていた。
何か意見を言うと、自分の存在まで否定され、怒鳴られる。
自分の意思を伝えると、愛してくれるはずの親に、愛されない。
頼りたいのに、見捨てられる。
そんな恐怖から何も言えない子供になっていた。

まだ親に対して、自分の声を聞いてほしいと期待し、もがいていた

そんな私もこれまで2度の抵抗に出たことがある。

1度目は、中学2年生の時だ。
元々荒れている地域だったので、その子らに交じって遊ぶようになった。
学校の先生に親を呼び出されるくらい荒れていた。
今思うと、人に迷惑をかける愚かな策だと思うが、まだ親に対して、自分の声を聞いてほしいと期待し、もがいていた私はこれくらいしか出来なかった。

呼び出された親は、学校の教師に平謝りしたあと、帰り道に私に対して怒り狂いながら「腐った人間は周りに伝染するからもう家から出て行って」と言った。
それを聞いて私は親に対して「理解して欲しいと期待すること」を諦めた。
自分が何も言わず、黙って波風立てず生きていけばもう傷つくことはないと思った。
その日を境に家でも学校でも自分の殻に閉じこもるようになり、家では話すことも、笑うことも出来なくなってしまった。
波風立てないよう、怒られて傷つけないよう、家事をし勉強をしていた。
当時は、自分を守る手段がこれしかなかった。

大学受験を終え、最後に今まで思っていたことを伝えようと思った

2度目の抵抗は、高3の時だ。
早く家から出たいと常に考えながら、高3まで淡々と暮らした。
幼い頃からの経験から、自分は意見を言ってはいけない、意見を言うと否定される、という恐怖が常にあった。そして自己肯定感ももはやなくなっていった。

大学受験を終え、もう家から出られると思った時、最後に自分が今まで思っていたことを伝えようと思った。
これまで言われたひどい言葉にいつも傷ついていたこと、何度も死にたいと思ったこと、本当は自分の声を聞いて欲しかったこと、泣きながら話した。
親からの答えは……「甘えるな」だった。
私は絶望した。もう何を言っても解り合えることはできない。
声を聞こうとも、解ろうともしてくれない。
微かな期待は残っていたが、もう全て諦めようと強く思った時だった。

諦めずに、声を上げること。それが今の私にとって必要だと考えた

そんな経験をもつ私は、2021年までは、人に対して、何か嫌なこと・違和感のあることをされても怒りを感じる前に諦めてしまっていた。

「この人はどうせ分かってくれない」「意見を言うと否定される」「自分が期待せず諦めればいい」と、心の奥で考えてしまっているのだ。
諦めだらけの妥協した人間関係しか築けなくなっていた。
だから、これまで恋人が出来ても、続かないことが多かった。
2021年ついに、恋人がモラハラ発言をしても抵抗できない自分になっていた。
そして、身体も心もボロボロになってしまった。

恋人と別れ、なんでこうなってしまったんだろうとずっと考えた。
もちろん相手が悪い部分もあるが、自分が相手を信じて声を上げられなかったことが、これまでの恋愛の失敗だとやっと気づくことができた。
違和感を、怒りの感情を、きちんと感じ取ること。
諦めずに、声を上げること。それが今の私にとって必要だと考えた。

だから、今年こそは怒ることのできる人になりたい。
怒ることのできる強さや勇気を持ちたい。妥協だらけの諦めの人間関係は嫌だ。
そのためには、自分の心の声に耳を傾けること、諦めないこと、自分が意見を言ってもそう簡単に人は離れていかないことを知り、怖くても伝える勇気と強さを持つことが必要だと思っている。

怒ることのできる人間になって、強く真っ直ぐ生きたい。