私には、どうしても行きたい場所がある。
ソレとはじめて「出会った」のは、随分と昔のこと。
本の発行年で、中学生だったことを把握するぐらいには朧気な記憶の中のこと。
出会いは、偶然でしかなかった。

ピタリと止まる手。そこには「死ぬまでに行きたい」と思う場所が

学校主催の、古本バザー(生徒や先生の要らない本を集めて、100円で売る)で箱に詰められた本の中から私が買ってきた、「死ぬまでに行きたい!世界の絶景」という本がすべての始まりだった。

「良い掘り出し物ゲットした〜」とるんるんと買い帰り、私は読んでいた。
現在、本棚にちょこんと鎮座しているソレにどんな場所が載っているのかは正直全部は覚えてない。
ただ、死ぬまでに行きたい!と売り出してプロのカメラマンが撮ってるだけあって、全部とても綺麗だったのは覚えている。

パラパラと捲って読んでいた中で、ピタリとあるページで手が止まった。
それこそが、私にとって唯一死ぬまでに行きたい!と思わせた場所それは、クロアチア唯一の世界自然遺産の「プリトヴィツェ湖群国立公園」だった。
16の湖とそれを繋ぐ川、それらを覆う緑によって構成されているそこは、写真となって切り抜かれてもなお、神秘を放っていた。

ただただ、行きたいと思った。
実物をその目で見てみたいと。
海山どちらでも良かった私を山派にし、川のせせらぎや川のしぶきの魅力を教えてくれたその場所は、何かに執着することが少ない私の、数少ない行かなければいけないと思った場所だった。

危険な情勢と時代の流れのせいで、未だに行けない夢見た土地

が、世の中は非情なもので、そう上手くは行かない。
我が家に金がないとか、時間がないという話ではなく。(高校に入ったら忙しかったのは事実だが)とてもじゃないが、行けるような世界事情ではなかったからだ。

私が、プリトヴィツェと出会った頃はあのIS国がニュースで1番報道されていた時期だった。
クロアチアが存在する東ヨーロッパは、時折自爆テロでニュースを騒がしていた。
とてもじゃないが、旅をしに行ける状況じゃなかった。
ISは落ち着いてきた(ニュースで見なくなった)が、大学受験のせいで私が旅をしに行ける状況じゃない期間を経て次に私を待ち構えていたのは……。
皆様ご存知のコロナウィルスでした。
そんな、時代の流れのせいで私は未だにプリトヴィツェどころか外国旅行すら行けていない。

簡単に行けない場所だからこそ募る気持ち。いつかその日を夢見て

今でもプリトヴィツェ湖群国立公園には行きたい。
その気持ちは変わらない。
だけど正直な話、コロナが終息として、元々色々と不安定な東ヨーロッパが旅しにいける状況じゃないという未来を思い描いては、気持ちが沈むのだ。それが、重く考えすぎであって欲しいと願いつつ。

沢山の動植物と美しい景観を持つこの自然遺産が、戦後のクロアチアの独立紛争の中で相手側に武力占領されたり、地雷を埋められたり、危機遺産リストに入ったりとその神秘さとは相反して、争いの舞台の過去も持つからこそ、ヨーロッパの火薬庫などと言われるバルカン半島だからこそ、楽観視はできないだろうなと思うのだ。

いつか、行けるその日を楽しみに待ちながら、たまたまWindowのロック画面に出てきたプリトヴィツェ湖群国立公園を見てはデジタルの旅で我慢するのだった。