友達に、私の着ている服がどこで買ったものか聞かれると、よく思うのだ。コロナが流行ってから、旅行する機会が減ったなあと。

旅先で服を買い、日常に戻った時にそれを着るという体験

旅行の醍醐味は人によって異なるだろうが、私にとってのそれは洋服である。勿論それだけではないが、正確に言うと、旅先で洋服を買うことだ。

当たり前のことを言うが、洋服とは身に着けるものだ。稀にもったいなくてなかなか着られない、という場合もあるかもしれないが、そういった場合を除き洋服は着るためにある。
旅先で洋服を買い、日常に戻った時にそれを着る。袖を通す度に、これはあの時あの場所で買ったなと、その時の旅行の記憶と共に思い出す。風情がある。

旅先というまた訪れるか分からない場所で、普段なら見かけない珍しい服を買うことが出来るのも魅力ではあるが、それ以上にやはり、思い出と共に着ることが出来るのが重要である。
一度で二度美味しい、そんな感じだ。何度でも着ることが出来る服に至っては二度どころの騒ぎではない。これが、私に旅が必要な理由だ。

今まで私がどんな場所で買ってきたかと言えば、国内は宇都宮、名古屋、京都、奈良、福岡このあたりだ。海外であれば、台湾、韓国、シンガポール、カナダ、スペイン。特に、海外の場合行った先で必ず服を買っているような気がする。
旅行に行く度に毎回服を買うぞ、と息まいているわけではないが、うっすら心の底で良い服があればいいなと期待している自分がいるのは確かだ。

便利なネットも、店舗に出向いて服を探す魅力には勝らない

それに、旅先の洋服屋でハンガーを滑らせながらたくさんの服の中から気に入るものを探すのも楽しい。服との出会いはいつもときめきの中にある。
服の買い方がこういったものばかりでないことは私も知っている。特にインターネットが発達した今、ネットで服を買うことはごく当たり前であり、むしろネットで買うことの方が多いという人も少なくないと思う。

私だって、ネットで服を買うことはある。検索機能もあるし、便利だと思う。ネットで服を探すことも、店舗で実際に探すのとはまた違った楽しさがある。だが、やはり実際に自分で店舗に出向いて、自分の手と足で服を探すことに勝るものはないと思う。

私がこう思うのも実体験を伴う理由がある。いつだったか京都に旅行に行った時のこと、数年前だったと思う。
ふらっと入った古着屋さんで、目を引くワンピースを見つけた。ほとんど買う気ではいたが、念のために試着をすることにした。店員の若いお姉さんに断って、試着室を借りる。

試着を終えて、その姿をお姉さんに見せた。「美人なのでなんでも似合いますね」と言われた。洋服屋の店員さんなんて、褒めて買ってもらうのがなんぼ、という感じだから自然な言葉ではある。おおむねリップサービスの類だとは思うが、それでもとても嬉しかったのを覚えている。

だからそのワンピースを着ると、思い出がよみがえりご機嫌な気分になれる。もう何年目になるか分からないが、多分五年くらいは着ていると思う。私は洋服だけではなくて、思い出も同時に買ったのだ。

たくさんの思い出と共に服を着倒せる日が来るのを願って

こういう体験が出来るから、私は旅先で洋服を買う。別に店員さんとのやりとりがいつもあるわけではない。だが、旅行先での思い出は洋服と共に思い出すことが出来る。それでいいのだ。

私が提唱する、洋服の新しい楽しみ方。いつか海外旅行に普通に行かれる日が来たら、めいっぱい洋服を買って、たくさんの思い出と共にそれらを着倒したいと思う。その日まで、私はこれまで旅先で買った洋服に思いを馳せる。