「また頑張れなかった」
私は電話口で泣き出した。母が電話の向こうでびっくりしているのが伝わってくる。どうしたの、と母はそっと言う。その優し気な声に導かれるように、私は涙ながらに話し始めた。
一つのことを頑張れないことがコンプレックス。そんな自分が大嫌いだ
大学に入学してなにか一つのことを頑張りたいと思い、ダンス部に入ったこと。とても先輩方が優しくて素敵だったこと。楽しかったけれど、運動神経が悪い私はついていけなかったこと。他の同期のようにダンスにのめりこめなくて、もうやめたいとこの数か月ずっと悩んでいることーー。
私が一通り話し泣き止むのを待って、母は静かに言った。
「あなたが電話してくるってことは、『もうやめたい』じゃなくて、辞める決心がついていてその報告でしょ?ならためらうこともないじゃない」
でも、と私は鼻をすする。
「また、頑張れなかったんだもん」
そう、私はいつも頑張ることができない。小さいころからたくさんの習い事を経験させてもらっていたがどれも続かなかった。バレエ、ピアノ、塾……どれも途中で嫌になって突然やめるを繰り返していた。一つのことに向かって頑張れないことが本当にコンプレックスで、自分が大嫌いだった。
中学校では部活動が必須だったのでテニス部に所属しており、表向きは3年間続けたことになっている。しかし実はこれも途中で嫌になり、放課後は所属していた生徒会の仕事に逃げていた。高校では一つのことが続かない自分を受け入れ、文化部を五つ掛け持ちしていた。
楽しい経験も、一つのことに夢中になれない自分が嫌で仕方なくて
とても忙しかったがどれも楽しくて、放送部や文芸部では全国大会にまで進めたのが良い思い出だ。この経験を経て、こんな私でも結果を残せるんだ、部活で活躍できるんだ、と自信を持つことができた。
しかし、一つのことに夢中になって輝いている人を見るたび、胸がちくりとして後ろめたい気持ちになった。学校生活を通して一つのことを成し遂げ、最後の大会で結果を残すことこそが、青春であり美徳だと思っていた。
だからこそ大学では、私は大学生活をこれに捧げましたと胸を張って言えるように、部活に入ってがむしゃらに頑張って結果を残そうと決めていた。心機一転を目指して大学でダンス部に入ったのに、またこのざまだ。こんな自分が嫌で嫌で仕方がなかった。
ダンス部ではみんな輝いていた。部員たちは生活の全てをダンスに捧げ、自分の踊りを鏡で確認する瞳には、強い光が宿っていた。練習の回数を重ねるにつれ、どんどんみんなが踊りにのめりこんでいくのが伝わってきた。
その中で私は、冷めた気持ちで鏡に映る自分を見ていた。みんなとの熱意の差がとても後ろめたかった。私は皆とは違う、皆みたいにはなれない、それを実感して心が痛かった。
息苦しくなってダンスフロアを出てそっとドアを閉めたとき、心にも蓋をした。ここにいればいるほど自分のコンプレックスがあらわになっていく。もう限界だった。
涙をぬぐい宣言した。2022年はやりたいことを全部やる一年にする
電話口で母はふっと息をつき、言い聞かせるように繰り返した。
「あなたが電話してくるってことは、辞める決心がついているんでしょ?良いじゃない辞めても、死ぬわけじゃないんだし」
母は声をひそめて続けた。
「今他にやりたいこと、実はもうあるんでしょ」
「うん……やりたいこと、ある。」
それはなに、と母が言う前に私は言葉を繋いでいた。
「やりたいことね、まずね、バンジージャンプでしょ、旅行でしょ、あ、美術館も行きたい、劇団四季も観たいし、それから……」
母がフフッと笑った。
「一つのことが続かないからってなに?それでこそあなたでしょ、なんだ、心配して損したわ」
母は笑い続けた。私は、そんなに笑わなくても、と少しむっとしながらも、胸のつかえがとれていくのを感じた。なんだ、これが私なのか、これでもいいんだ、と拍子抜けしたような気持ちになる。なんだか笑えてきた。私は涙をぬぐい、母に宣言した。
「ママ、私2022年はやりたいことを全部やる一年にする」
今私のスマホには、「2022年やりたいことリスト」というメモが入っている。やりたいことを全部やる、これが今年の目標であり、私の生き方だ。