十六歳の冬、バレンタイン。私はお昼休みに教室をこっそり抜け出して、寒い廊下を走った。お腹に小さな包みを抱いて。
それは大好きなあの人に渡したいチョコだった。クラスで浮いている、あの男の子に。
私は小さい頃、変わった子だと言われてあまり友達ができなかった。でも少しずつ成長するにつれて、「ああ普通はこうなんだ」「ここはこうした方がよさそうだ」と、周囲に順応していくことができるようになった。なんとなくみんなに合わせていい感じに振る舞うことが染みついていたし、それが正義だと思っていた。
当時、私以外の高校生もみな、「人に合わせるのが正義」みたいなところがあったと思う。学校は本当に、小さな社会だった。
いつも、ただ自分としてある。そんなA君に憧れた
でも当時のクラスには、Aくんという変わった子がいた。いつもクラスの端にいて目立たない、他人に執着のなさそうな男の子。
口を開けば、独特の感性でみんなとはちょっと違うことを言う。あえて人に媚びることも迎合することもなく、かといって非難や攻撃もしない、ただその場に「自分」としてあり続ける。彼はそんな揺るがない生き方をしていた。みんなとはちょっと違う、でも、間違っていない。
かっこいい。私はそう思った。
でもそういう人のことを、小さな社会では「変わった人」と呼んだ。彼は明らかに、クラスの中で浮いていた。
すごく勉強ができるわけでもなければ、おぼっちゃまでもない、イケメンとも言われない変わり者の青年。教室の後ろからAくんの背中を見つめながら、私は心の中で問いかけていた。
「私はみんなと違うことが怖くて、こんなふうに合わせてしまうんだ。ねえAくん、Aくんは、怖いと思ったことはないの」
自分がかつてそうだったからなのか、私はクラスで浮いている彼を放っておけなかった。気になって仕方がなかった。今思うと、それは同情からではなく、自由に生きる彼への憧れと尊敬だったのだと思う。
少しずつ縮まった距離。でも、私は好きだと言えなくて
秋になった頃、席替えで初めて彼の隣の席になった。最初は「シャーペン貸してくれる?」とか小さな会話から始まり、だんだんと世間話をしていくうちに私たちは仲良くなっていった。
彼が話す時に選ぶ言葉や、感覚がとても好きだと思った。たとえみんなとは違っていても。そのうち連絡先を交換し、やり取りをするようになった。
Aくんの言葉が好きだと伝えると、ある時、彼がネットに書いている日記のようなものを見せてくれた。そこには、私と話した日のことが、とても嬉しそうに彼らしい言葉で書かれていた。
もうその時、私はAくんのことを好きになっていたのだと思う。でも、好きでいることが少し怖かった。
私はAくんと違って、たくさんの友達に囲まれて学校生活を送っている。お昼休みには女子どうしで集まってガールズトーク。どのクラスの誰がかっこいいとか、誰と誰が付き合い始めたとか。そして私自身もおしゃれに目覚め、人生初のモテ期も到来しつつある。
そんな私がAくんを好きだって言ったら、みんなにどう思われるだろう。どこかでそう思っていた。だから誰にも、Aくんを好きだと言えなかった。
仮病を使って寒い廊下を駆け抜けた、バレンタインデー
そんな時に迎えたバレンタインだった。気持ちを伝えるチャンスだけれど、好きだとは言えず、「いつもありがとう」と書いた手紙を入れた小さなチョコを用意した。
昼休み、「おなかが痛い」と仮病を使ってガールズトークを抜け出し、寒い廊下を息を切らしながら下駄箱へ走った。胸が高鳴った。
きょろきょろと誰もいないのを確認し、静まり返った昇降口で、私は彼の下駄箱にそっとチョコを入れ、扉を閉めた。
ほっとしたその瞬間、不思議と何もかもが吹っ切れた。
私がAくんを好きなことも、私が私だけの感覚や思いを持っていることも、何も恥じることじゃない。私はAくんが好きだし、Aくんのことが好きな私が好きだ。そう、心から思えた。そういうことを、私はAくんから教わったのだと思う。
そして、もし今度話す時には、この手紙には書けなかったことを伝えようと思った。出逢えて嬉しかったということ、好きだということ。
私は走ってガールズトークに戻り、「好きな人がいるの」と打ち明けた。
どんなに大人になっても、16歳の2月14日を忘れたくない
今となっては私もアラサーになった。ガールズトークで恋人の条件の話になった時、年収やルックス、ステータスについて盛り上がる中で、私はときどき、ふとAくんのことを思い出す。
確かに学校は小さな社会だった。でもあの頃、なんの物差しもなく人を好きになれた私がいた。大人になると、自分らしく生きるだけじゃ通用しないことだってたくさんある。人が人を好きになることだってどんどん複雑になる。
でもあのバレンタインの日、寒い廊下を駆け抜けた時の高揚感を、忘れたくはないなと思う。