わきまえる人と一緒にいて、空気の読みあいが気持ち悪かった

「あなたは気が強いから、包容力のある年上のパートナーと結婚した方がいい」
取引先との接待で、取引先の男性から言われたひと言。
「そうかもしれないですね」と表面上は笑いつつ、納得はできなかった。

昔、年上の男性と付き合ったことがある。わきまえる男の人だった。2人で歩くときはいつも車道側をキープしていたし、デートの行き先もご飯のお店も決めてくれるし、お金も少しでも多く払おうとしてくれた。その人が思う「彼氏らしい彼氏」を演じてくれていたんだと思う。

でも、私は守ってほしいというよりも対等でいたいタイプだし、ご飯もデートの行き先も行きたいところがある方が提案するのがよかった。何かをおごられると相手に借りを作ってしまったと思ってしまう。

何より、彼氏らしい彼氏を演じる相手に対して「本当にこの人はそうしたいと思っているんだろうか」と真意を探りながら一緒にいるのが窮屈に感じられた。

求められた「彼女」の振る舞い。あまのじゃくな私はできなくて…

加えて私はあまのじゃくだった。その時の彼氏は、「彼女らしい彼女」の振舞いを私に期待していた。直接口には出さないものの、付き合っていくうちに「こう言ってほしいんだろうな」「ここで甘えたら喜ぶだろうな」というのが感じとれるようになってきた。

私は、相手が私にしてほしいと思っていることに気づいても、その通りに振舞うことができなかった。本心じゃないことを言ったり求めたりするのは気持ちが悪くてできなかった。
わきまえようとする相手と、わきまえられない自分のすれ違いがだんだんひどくなり、結局関係性は長くは続かなかった。

別れた後、その人のツイッターで「この前観た『○○』の映画がつまらなかった」という投稿があった。付き合っていた時に、私と観に行った映画だった。
観たすぐ後は「面白かった」と言った私に合わせてくれていた。「その時言ってくれればよかったのに」と思った。別れるときに伝えたはずだけどまだ気づいていないのか、と思った。
そういうところが嫌だったんだよな。

きっとあの人は、私が「私はこう思う」「私はこうしたいんだ」という自分の主張を、相手の立場をわきまえずに伝えていたとしても、許してくれていたと思う。「包容力がある男」というのもその人が演じようとしてくれていた「彼氏らしい彼氏」の一つの要素だったから。
でも私が望んだのはそういう一方的な許容ではなかった。相手も自然体でいてほしかった。

私が求めていたのは、お互いにわきまえなくても居心地がいい関係

恋愛でも仕事でも、自分の立場によって意識的に、もしくは無意識に理想の型に自分を当てはめて行動しているし、相手にもその型の範囲での行動を望んでしまっている。
そんないわゆる世間一般の理想の型から外れてしまうことが「わきまえない」状況だとするのであれば、私が求めているのは「私がわきまえないことを相手が許してくれる関係」ことではなく、「お互いにわきまえていなくても居心地がいい関係」だったということに、その人と別れて初めて気づくことができた。

今私が一緒にいる年下の彼氏は、私の気が強いところが好きと言ってくれる。甘えるけど、時々頑固な彼。相手が先攻で甘えてくれるおかげで、私も思う存分自分の要望を相手に伝えられている。

歩く時の立ち位置は、車道がどちらかによらず相手が左で私が右だし、デートは行きたい場所がある方のプランに付き合い、デート代はお互いの祝い事以外は割り勘だ。「彼氏らしい彼氏」「彼女らしい彼女」の先入観を一つずつ取り除いてオリジナルの関係性を構築している。

この関係性がありがたいと思えるのは、元彼のおかげかもしれない。
さすがにわきまえて、今の彼には伝えないでいるけれど。