「大人」が良い意味に思えないのは、アイドルファンをしているから
私は今、22歳。日本だけではなくどこの国に行っても、成人として認められる年齢だ。
しかし、自分が大人だという自覚はまだない。それはまだ就職していないこと、納税していないこと、被扶養者であることが理由だ。
顔も周囲の大学生と比べると幼く見えるようで、未だに「中学生?」なんて言われることも少なくない。そんな私にとって「大人」という言葉は、あまり良い意味で使われるイメージがない言葉の一つである。
その要因は、アイドルにある。
小学生の頃からアイドルファンをしている私にとって、「大人」という言葉は都合の悪い時に使われるイメージだ。
アイドルは、10代から20代が中心で構成されている。アイドルとして働いている彼・彼女らは、まだ社会人としては未熟で、「大人」のマネジメントによって仕事をしている。
だから、取材やファンへの対応で判断できない出来事が起こった時に彼らはよく口を揃えて「大人の人に聞かないと…」や「大人の事情で言えないんです」と言う。それから、私の中で「大人」という言葉は、不都合なことがあった時に多用されるというイメージが定着した。
歌詞を通して伝わってくる大人の役割はいつも良くないものだった
歌詞にも、「大人」は時に若い世代の対抗すべき存在として登場する。
例えば、欅坂46の「サイレントマジョリティ」の歌詞はそうした大人への反抗を表している。サビはもろに大人を子供や青少年の敵としている。AKB48の「Beginner」の二番のAメロにも「大人」は頭の凝り固まった、挑戦することを諦めた存在として出てくる。
作詞をした秋元康が、アイドルに対して背負わせたかった役目の一つが、若い世代の反骨精神を引き出すトリガーとなる存在になってもらうことだったのかもしれないとも考えられるが……。
兎にも角にも、青春時代にこうしたアイドルの言動や曲を何度も見聞してきた私にとって、今でも大人は融通の利かない、柔軟性を失った存在というイメージがある。自由な発言や行動をする権利を奪う、それが彼らの役割だと。
社会人になったとき、わたしは子どもにとっての宿敵?憧れ?
一方で最近は、YouTubeやインスタグラム、TikTokで、「大人」でもまるで子供の頃の自由研究のような実験をしたり、スターのように歌ったり踊ったりする動画や写真を共有したりできるようになった。有名人に限らず、世界中の誰でも、だ。
大人になって自分で稼げば、夢のような遊びや旅が実現できるし、身長が伸びて成長をしたら、かっこいい服や可愛い服を着て踊る、というのが今の子供にとっては常識になりつつあるのではないか。その仮定が正しいのだとすると、なりたい職業ランキングの上位にYouTuberがあがるのも不思議ではない。
アイドルにとって、時に批判の的となる「大人」であり、法律の制限がなく何でもできる「大人」である私は、まだ社会的責任を全て背負った存在ではない。
大学を卒業し社会人となり、誰かを相手に商売をする日が来た時、私は大人が子供にとっての宿敵なのか、それとも自由を謳歌できる子供にとっての憧れなのか、改めて考えてみたいと思う。