学生の頃から「迷惑をかけるな」「周りと同じようをしろ」と大人から言われ続けていた。

そして、それが私のトラウマだ。大人は理不尽ですぐに他人と比べたがるので、よく反抗していた。ずっと大人になりたくないって思っていた。

私は、根暗でコミュニケーションが苦手。そして、自己肯定感が低い

大人になった私は、「自分は他人からどう見られているのだろうか」いつもそんなことを考えて過ごしている。

本当の私は、根暗でコミュニケーションが苦手で、打たれ弱く緊張しいな性格だ。そして、とても自己肯定感が低い。好きなことは、洋服集め。暗い性格とは真逆で、派手な個性的な服ばかり集めている。「派手な服を着る人は、本当の自分を隠したい人なんだ」と、ネットに書いてあった。ちょっと納得。

あとは、音楽と写真を撮ることが好き。ピアノを弾いたり、アイドルの曲を聴いたりしている。共感できる歌詞に出会えると喜びを感じて、何度も同じ曲を聴く。歌手の心地よい声を聴くと、眠れない孤独な夜も落ち着いて眠れるようになる。声のパワーって不思議。

そして、風景と自分のクラスの子供たちの日常の姿を撮ることに幸福を感じている。好きな時間を残せるカメラを作った人には、心から感謝したい。

冒頭にも書いたが、人付き合いが苦手なので保育士になるか迷ったが、可愛く純粋無垢で無償の愛をくれる子供たちに出会えて、私は初めて愛を知り、愛を与え、生きる希望となっている。保育士になって良かった。人生において、職選択だけは満足している。

等身大で生きて、「ありのままの自分」を愛してもらえるって難しい

私生活において、私は孤独だ。心が満たされない。孤独感から特定の誰かに依存してしまい、恋愛では失敗ばかり。彼氏と付き合うと「私のどこが好きなんだろう」「私は遊ばれてるだけなのでは?」と疑心暗鬼が生まれ、メンヘラ状態。

誰にも相談出来ず倒れ、休職となった。そして、人生で唯一の喜びであった子供たちと会えなくなった。

外面の私は、清楚なワンピース。黒髪ロングに薄い化粧。仕事は完璧に迅速にこなす。話し方も食事のマナーも歩き方も、自分のイメージを守るために勉強した。容姿は学生時代にいじめられたので、垢抜ける為に努力した。SNSではファンが付いて、ファンアカウントがある程になった。外面を形成した成果だろう。

なぜ、外面を作るのかというと、外面を作らないと私は誰からも愛してもらえないと思っているからだ。そんな努力を知らない周りから、私は高嶺の花らしい。

だが彼氏や友達など好きな人との付き合いになると、本当の自分を出したくなる。本当の自分を知って欲しいからだ。

しかし、外面と本当の自分は違うので幻滅され、すぐに別れが来てしまう。私も自分の自尊心が低下し、自信が持てなくなる。孤独になる。

等身大で生きるって難しい。ありのままの自分を愛してもらえるって難しい。誰にでも本当の自分を好かれるようになりたい。人生100年時代。人生の4分の1を過ぎた大人になっても、壁にぶつかっている。そして、心が満たされず、孤独感から自殺未遂をした。

他人から「本当の自分」を認めてもらえないことが悲しい

2021年1月から休職となり、青森の実家に帰った。都会に憧れ上京し就職したが、3年で帰郷となってしまった。久々に豊かな自然へ帰り、隣接する家もない静かな環境で、一人で考えた。

人からどう見られているのか不安で、不安で、不安で生きることが苦しい。他人から本当の自分を認めてもらえないことが悲しい。

だから、「自分を愛せない自分」を変えたいと思った。この際、せっかくの休職なので、毎日何かをしよう。自分を喜ばせられる何かを。そして、自分のことを一日一つでも褒めようと決めた。

したこともない料理を作ったり、初めてミシンを使って服を作ったり、心理学を学んだり、ピアノでショパンのエチュードを弾いたり、本を読んだり、夜空を見上げて星を見たり、花を見たりした。

そういえば、いつの間にか星や花の自然を綺麗と感じなくなっていたなと。自分のことに精一杯で余裕がなく、こんな身近な美しさにすら、無関心になっていたなと実感した。

自分を自分らしく生きるって、私には難しい。だが今、自分を好きになろうと努力をしている。色んなことに出会い、感じ、いずれ飾らない自分で、自信を持って過ごせる日が来ることを信じたい。