自分の見せ方も見られ方も、正確に把握できる人なんているのだろうか。
いつも輪郭がぼやけている。自分も他人も正確に把握できない。でも、他人の生活を24時間見ても、わからないと思う。だって自分も分からないくらいなのだから。
人と関わることすら怖くなってしまったときに救われた曲がある
「見せ方・見られ方」というコミュニケーションで思い出すのが、大森靖子さんの「IDOL SONG」という曲だ。私はこの曲のサビで繰り返す「好きでいいよ」という言葉に救われた。
この曲を知ったのは、深く沈み込んでいた暗黒期だった。
仕事で他人に迷惑をかけてしまうことが多く、例えば私に関わる人が占いで12位だった時、その原因の一つに私がいる気がしていた。また、私の知らないうちに迷惑をかけている場合もあり、それこそ他人にどう見られているか、恐ろしかった。
プライベートでも、他人に関わるのが恐ろしくなった。何気なく言った一言、表情が悲しい気持ちにさせてしまっているかもしれない。自分は「関わりたくない人」と見られていると思っていた。
それでも私のことを絶対的に好きでいてくれている人はいて、例えば祖母は、毎週の様に電話をくれていた。でも、その電話に出るのも億劫だった。祖母から私は「ちゃんと大人になって立派に働いている自慢の孫」と見られていた。
けれど、その見られ方と実際の私とのギャップが苦しかった。
歌詞の謎。アイドル視点の「好きでいいよ」の意味が分からなかった
その頃、大森靖子さんの「IDOL SONG」という曲を知った。歌詞の殆どが様々なアイドルの自己紹介フレーズで構成されていて、サビに「好きでいいよ」と繰り返す。
「好きでいいよ」ってどういう意味だろう。
最初は理解できなかった。アイドルがファンに向かって「好きだよ」というのは理解できる。「好きでいてね」とか「好きになって」もわかる気がする。でも、「好きでいいよ」って、当たり前じゃないか?
だって、アイドルは好きになってもらうよう自分を見せるのが仕事だし、仕事じゃなくても好意を持たれるのは誰だって嬉しいはずだ。なぜ、わざわざサビで繰り返し「好きでいいよ」と許可するんだろう。
その大森靖子さんがメンバーであるZOCというアイドルグループが好きだった。そのZOCのライブを見た時、初めて「IDOL SONG」を聴いた。そして、サビに「好きでいいよ」と歌った時「ほんとうに?」と心の中で思っている自分に気がついた。
誰かを好きになることには最低限の自己肯定感が必要だ
わたしは「アイドルは好きになってもらう仕事」と頭の中で思っていたのに、私自身が好きになることには抵抗があったのだ。その「好きでいいよ」の相手に私はいないんじゃ無いかと不安になっていた。そして、だからこそ「好きでいいよ」と何度も繰り返してくれているのでは無いかと感じた。
「そういうことだったのか!」と妙に腑に落ち、そのままライブを見続けた。彼女たちは、本当に真っ直ぐに、見ている私達と向き合ってくれていた。汗と涙でぐちゃぐちゃになっても、本気で私達と向き合うのを最優先にしてくれていた。
その彼女達の見せ方を見て、「本当に好きでいいんだな」と思えた。
誰かを好きになることは、「自分が好きになったことを喜んでもらえるだろう」と思える最低限の自己肯定感が必要だ。それを復活させてくれた一つが、「IDOL SONG」だった。
そして、誰かに「好きでいいよ」という見せ方をすることは本当に大変なことだ。アイドルは、それぞれのファンにとって理想のアイドル像がいて、それと自分自身のギャップに悩みながらも「好きでいいよ」と言い続けているのだと思う。
私が祖母の電話に出られなかったのもきっと同じだ。でも、きっと祖母はわたしが理想の孫でなくても、好きでいてくれる。わたしも祖母に「好きでいいよ」の気持ちを持って、電話に出るようになった。