佐々木ののか賞大募集!のタイトルを見て、「今の『私』をつくった本だなんて、たくさんありすぎる!どれとどれとどれを紹介しようか……」と考えながら募集記事をスクロールしたら、“取り上げる本は一冊にしてください”と念を押された。
一冊、そうかぁ……。
のろのろと書斎に置いてある本棚に向かった。どの本のことを書こうか、本棚の前でウンウンと唸る。

考え過ぎてネガティブになったタイミングで思い出した一冊の本

小学生の頃から本に救われる人生を送っていて、玉ねぎみたいに、私の大好きな本たち一枚一枚のページが重なり合って自分ができている。自分を剥けば剥くほど、色々なページが現れるところを想像する……あれ?終いには何もなくなってしまうのではないか?

ということはつまり、芯がないってこと?そうだ、それに昔から、「これが私の好きなものです!」と好きなコンテンツを誰かに語るのが苦手だ。それを好きな私というレッテルを自分に貼るようで、好きの感情は分厚いはずが軽薄な語り口になってしまう。私はこのエッセイを書くべきなのだろうか……。
本を選んでいたはずが本棚の前で、ぐるぐるとネガティヴな妄想に沈んでいく。たくさんありすぎる!とテンションが上がった自分も、薄っぺらな人間のようで嫌になってきた。

いけない!考えすぎだよ!!!ワ〜ッと頭の中で別人格の自分が叫んだ。そうだ、と思い出したのは、若林正恭の『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』だった。

エッセイの内容に書かれていた一文は、まるで私のことみたいだった

『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』はお笑い芸人のオードリー・若林正恭さんが2010年から雑誌『ダ・ヴィンチ』で連載していたエッセイをまとめたものである。下積み期間という長いモラトリアムを過ごした結果“俗世離れした人間”になった著者が、社会に参加していく中で違和感を抱きながら自分らしい生き方を模索し変化していくエッセイ集だ。

特に、私の“皮”になっているページが「ネガティブモンスター」というタイトルのエッセイにある。

正月に芸人仲間と箱根旅行に来た著者は、何も考えずリラックスしようと1人で温泉に入ったら、反対にネガティブな思考に苛まれてしまう。心の中のネガティブモンスターが顔を出してしまうのだ。その流れで出てきたのが「物心ついた頃から『考え過ぎだよ』とよく言われる。」という一文だった。

私のことだった。

ネガティブになったら意識して没頭するようになったのは、本のおかげ

私は、考えすぎる人間だ。正確には、私の周りの人間が考えていないだけだ、と中学生の頃から永遠に考えていた。
中学3年の秋、担任の若い男性体育教師に「考え過ぎるよね」と人格を定められ、ずっとムカついていた。「考え過ぎだよ」と言われる度、「お前らが考えていないだけやろがい!」と心の中で反撃し、どんどんネガティブになっていく。ネガティブにはなりたくないが、考えるのを放棄したくない。がんじがらめになった。

著者も同じで「みんなはなんで考え過ぎないで済むんだろう?」と続いていた。
本当に、そう!!!
この本と出会った当時は22歳。大学卒業見込みの私は、トイレの中で読みながら大きく頷いた。そして初めて、同じように考え過ぎる人に出会えたことに、なんだか泣けるほど嬉しくなった。

「ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ」。最後にそう綴られていた。
そうなんだ。私と同じように考え過ぎる人が言うなら、きっとそうなんだ。それからネガティブになったら意識して没頭するようになった。考え抜いた先の答えは頭の中にはなく、現実の目に見えるものに集中することだった。本当にその通りだった。

相変わらず想像力はたくましく、27歳の今も考え過ぎて深みにハマることがある。それでもエッセイを書くことに没頭していたらスッキリした。この技が、私の考え過ぎる息苦しさから、少しずつ救ってくれるのだ。