私にとってのいつもと違う休日は、読書だ。そんなの普段でもできるでしょ、と思われるかもしれないが、ここでいう読書は、「スマホを一切無視し、物語の世界に没頭すること」である。
さあ、せっかくの休日、読書に勤しむぞ!と意気込んだものの、結局、スマホを触ってダラダラ過ごしてしまうことがある。「あの頃」のように物語の世界に浸っていられたら、どれ程充実した、いつもと違う休日が待っているだろう……。

誕生日会でさえ、ひとり本を読むほど没頭していたはずなのに

もう15年以上前の話だが、小学生の私は本が好きだった。特に『ハリー・ポッター』シリーズの大ファンで、新刊発売のニュースを聞くや否や、両親に頼んで本屋に連れて行ってもらい、手に入ろうものなら、他の何よりも『ハリー・ポッター』を読むことを優先していた。
私は、本を手に入れてから3日も経たないうちに分厚いそれを読み終え、呪文を暗記するだけでは飽き足らず、気に入ったページを何度も何度も読み返しては、父のPCでハリー・ポッターファンサイトのクイズに黙々と挑戦するような子どもだったので、こんな娘を見てきた母は、後に遠い目をしてこう語った。
「誕生日会を開いたとき、友達が来ているのに、途中からあんただけ本を読んでたことがあって、やばいなと思った」
……すまない、母よ。

さて、話が逸れてきたので軌道修正を。「なぜ今、スマホを一切無視した読書こそ、私にとっていつもと違う休日だと感じるか」について話すにあたり、1冊の本を紹介しようと思う。

気付けば『スマホ脳』に書かれている通りの人間になっていた

先日ようやく、世界的ベストセラーとなっている、アンデシュ・ハンセン著(2020)『スマホ脳』(新潮社)を読んだ。
スウェーデンの精神科医として働く著者が、デジタル化が脳に及ぼす影響を人類の進化や脳科学の研究結果から明らかにしていくという内容で、わかりやすい文章で一般の人向けに書かれているので、興味のある方には読んでいただきたい。
本書の中で著者は、
「私自身も、本を集中して読むことが難しくなった。スマホをサイレントモードにするくらいでは効果がなく、集中したければ別室に置いておかなくてはいけない。そこまでしても、10年前と同じように本にのめりこむのは難しい。集中を要するページにくると、スマホに手を伸ばしたい欲求に駆られる。もう昔みたいな努力はできなくなったようだ。」
と言っている。これがまさに、今の私と全く同じ状況なのである。

小学生の私は、教室でやんちゃな男子達が暴れていようが、同じ子ども部屋を使う妹がイビキをかいてぐうぐう寝ていようが、本を開けば3秒で、主人公のハリー達が通うホグワーツ魔法魔術学校に行くことができた。冒険に心を躍らせ、豪華な城や魔法生物などを想像し、完全に魔法の世界に虜になっていたので、気が付くと3~4時間経っていたこともあった。つまり、集中している状態を何時間も、苦も無く続けられたということだ。
ところが、今の私はどうだろう。集中していたつもりが、ラインの通知音が鳴れば気になってメッセージを開いてしまうし、少し調べ物をするだけ、とスマホを取り出したはずが、気付けばSNSを眺めている。
つまり、悲しいかな、集中力が下がり、物語の世界に没頭するのが簡単ではなくなってしまったのだ。

ただ単純に手放せばいいというものではないから

これはいかん!と、先週末、スマホをサイレントモードにして隣の部屋に放置し、のんびり読書した。
ああ、さすが、どうしてこんな作品が書けるのかと感心しながら、ひと段落ついたところでスマホを取りに行くと、この日に限って、母からの着信が何件も。折り返すと、「急ぎで聞きたいことあったのに!」と少し機嫌を損ねた様子……。

今回の電話は大した内容ではなかったが、もし急を要することであったら、と考えると、一人暮らしの私がスマホを長時間手放すのは恐ろしい。しかし、その「もし」を気にしすぎるあまり、通知音が鳴る度にスマホを触っていては、結局、今までと同じことである。
スマホ以外の連絡手段を持っておくだとか、特定の時間帯はスマホを見ない人間だということを普段から周知しておくだとか、工夫を凝らさなければ、このご時世、デジタル・デトックスは難しいのかもしれない。
スマホを一切気にしなくて済んだあの頃の私に戻れずとも、近づける日は来るのであろうか。