本のことなんて別に好きではなかった。国語の教科書で読む小説だけで十分だと思っていた。
小学校にあがって初めての読書感想文は、書き方が分からなくて推薦図書の文章を書き写した。母に「同じ文を写すんじゃなくて、感想を書くんだよ」と笑われたけど、本を読んで感じたり想ったりすることなんてなかった。
だってお話はお話でしかない、私には関係ないことだ。
なのに、私は本にドはまりしていた。起きて学校へ行き朝読書で読む、休み時間に読む、テストを早く解き終っては見返しをすっとばして読む、昼休み読む、帰り道読む、放課後読む、寝る前読む……本の虫だった。
友達が教えてくれた本を手に取ると、登場人物が話しかけてきた
「なに読んでるの?」
仲良しの友達が読みはじめた本を尋ねたのが始まりだった。彼女は読みかけのページに指を挟んだまま、表紙を私に見せてくれた。
「夢水清志郎シリーズだよ!」
ゆめみずきよしろう?と耳馴染みのない言葉を頭の中で繰り返した。学校図書館へ行って、いつも読む漫画本とは違う棚を眺めると、青くて小さな本が並んでいた。
これか、と手に取る。これが私の友達が私と遊ぶより夢中になって読んでいる本か。パラパラとページをめくると、
「はじめまして! 私は岩崎亜衣!」
登場人物が話しかけてきた。
夢水清志郎シリーズは、名探偵・夢水清志郎が事件を解決していく推理小説だ。小学生をメインターゲットにした青い鳥文庫というレーベルから出版されている。
多くの探偵小説がそうであるように、夢水清志郎シリーズもまた名探偵役と語り手役に分かれている。本作の語り手・岩崎亜衣は、斜に構えていた私に話しかけてきてくれたのだ、それも、とってもフレンドリーに!
友達が転校しても夢中で読んだ本。生活に欠かせない存在に
私は夢中になって読んだ。友達と一緒に過ごしながら、それぞれの手の中には青い鳥文庫がある。会話はなくても同じ時間と同じ興奮を私たちは共有していた。
「今何読んでるの?」
「次、私が借りたい」
ふたりで図書室へ行き、並んで本を読んだ。
ある学年の終わり、友達は転校していってしまった。私はひとり図書室に残されて、変わらずに夢水清志郎シリーズを読んだ。亜衣は物語が始まるたびに話しかけてくれて、私は本に夢中になれた。
いつしか私が読むのは夢水清志郎シリーズだけではなく、青い鳥文庫の別シリーズから他の厚くて文字の多い小説まで読むようになっていた。
本の中で起こる出来事に感情を動かす登場人物、その側にいるみたいな気持ちで物語を読んでいた。私の生活に本は欠かせない存在になっていた。
転入生が取り出した小さな本。私はあの子みたいに声をかけた
学年が変わっても、私は1日中本を読んでいた。夢水清志郎シリーズの新刊が出ればすぐに読んだ。
読書家であり作家の夢を持つ亜衣に自分を重ねながら憧れたし、運動神経の良さも、人から愛されるチャーミングさも好きだった。先生からもクラスメイトからも本をたくさん読んでいるねと褒められたけれど、私にとっては特別なことではなかった。ドキドキして、楽しいから、読んでいただけだった。
何年かごとに、夏に転入してくる児童がいる。その夏の転入生は小さな声であいさつをした。語尾の伸びない標準語を話す人は学級にはいなかった。
転入生はひきだしから青くて小さな本を取り出すと、黙々と読み始めた。
あっ、それ、青い鳥文庫。
私は迷った。どうしよう。ひとりで本を読むのは楽しい。でも、ひとりぼっちで本を読み続けるのは?
私は自分の本にしおりを挟んで、閉じる。そして転入生に話しかけた。
「はじめまして! 私は鈴木公子!……なに読んでるの?」