「それはお父さんに相談して考えたことですか」
カッとなった。ジッと上司の顔を見つめ、すぐに言い返した。
「違います。私の考えです」
しかし、上司はふぅんといった様子で、私を舐め回すように見た。
わかっている。なめられていることも、厄介者だと思われていることも。早く終わらせたいと思っていることも、あしらわれてるってこともわかっている。
「これらの件については、こちらでも指導するので、あなたも先輩方から様々なことを学んで成長してください。連携をとって、より良くしていきましょうね」
終わらされた。未熟な女性教員だとレッテルを貼られたのだろう。
指導?連携?成長?よりよく?
綺麗事を並べて、事を荒立てないように切り上げたことなんて見え見えだった。
間違っていると思った事を上司に書いて提出したけれど
上司とこのような話し合いになったのは、日々の働く環境として、間違っていると思った事を書いて、文章にして提出したためだ。自分の感情が入らないように、時系列をはっきりさせ、出来事や言われた言葉を正確に書き、事実のみを書き並べた。感情的になっているものは受け入れられないからだ。
私が他校の先生と連携をするために書いた文章を上司が勝手に破棄したこと。授業のやり方が自分の方針とは違うから授業をやめろと言われたこと。授業中に廊下で雑務をやらされ続けたこと。
方針が自分と違うと、そんなこともわからないのかと子供の前で強く言われたこと。コロナだから気を使って長時間のグループワークや人と人と触れ合うことを意図的に避けていたのに、そのやり方は不適切だと言われたこと。
先輩教員がコロナ禍なのに手を繋いだ活動をしていたこと。男女を分けてやる活動をしていたこと。今の時代に即さないやり方だと感じたこと。
数々の違和感を書き綴った。しかし、どれも自分の納得できる返答はなかった。
間違っていると感じる上司に対してペコペコ頭を下げるのは御免だ
教員は、年々大変な仕事と化している。保護者対応、地域との連携、縦や横のつながり、IT教育に英語活動、家庭環境が厳しい児童も多く、さまざまな支援が必要で求められることがかなり多い。
しかし、子供のことをしっかり考える時間は少なく、会議やレポート、研修に出張、数々の行事に追われてしまう。本来は子供一人一人を大切にしなければならないのに。
こんな大変なときだからこそ、互いを尊重し合って、助け合って、支え合いながら仕事をしていくべきだと思うのに、教員同士が過ごしやすい環境になっていない。立場が低くなれば扱いは雑になる。
自分とは方針が違うと目の敵にされる。20代の女性教員は、上司の言うことを素直に聞き入れて、すみませんすみません、勉強させていただきます!と上司を持ち上げるのが模範解答であるようだ。
私はそうではない。送別会でお酒を注ぎに行けと言われても、それで何も得られるものがないなら行く気になれない。間違っていると感じる上司に対してペコペコ頭を下げるのも御免だ。
聞き分けのいい女性にはなりたくない。私は私らしく生きる
バカにするな。私だって私の考えがある。だからあのとき無性に腹が立った。「お父さん」と父のことを引き合いに出されたこと。強気な言葉に、正論を淡々と述べる姿勢が、20代女性らしくなかったから「お父さん」というキーワードを入れて話してきたとすぐに気づいたからだ。
前からそうだった。私は私の考えの元動いているのに、両親が教員だから、それはご両親に何か相談したの?と聞かれることが多々あった。私は20代の女性らしく生きていたいなんて思っていない。周りからは変わり者、厄介なやつ、問題児、そんな風に思われている。
でもそれでいい。私は私らしくいたい。間違っているなら間違っているとはっきり言いたい。正しいことを正しいと精一杯胸を張って言いたい。上司に頭を下げて、言うことを素直に聞き入れる、聞き分けのいい女性にはなりたくない。
わきまえた女性になんてならない。教員でありながら、問題児扱いされても、私は私らしく生きたい。