友達ができない私でも「大丈夫」と、図書館の本が言い切ってくれた

私は学生時代、学校が大嫌いだった。
学校嫌い発症の発端は、中学2年生のときのクラス替えだった。クラスに今まで仲良くしていた友達がひとりもいなかったのだ。
大人からすれば、「新しく友達を作る」ただそれだけかもしれないが、思春期真っ只中の中学2年生にとってはそれが大事件の大問題である。
既にできている友達の輪にどう入ったらいい?隣の席の男子とは今まで何を話していたんだっけ?授業中のペアワークがつらい……。
小学生はいいなあ、仲間に入れてって言うだけで友達になれるんだから……。
今まで「一緒にいてくれる友達がいる」というそれだけでできていたことが、何一つ自信を持ってできなくなった。ある日突然、人とどうやって話していたのかわからなくなったような感覚だった。
誰も私のことなんて見てないし必要としていない。でも、自分の一挙一動がクラスの全員に監視されているような気がして怖かった。ひとりは寂しかった。
それなのに友達作りは空回りし続け、余計に自分が惨めに思えた。最初の1ヶ月で、私はクラスの「空気」として1年過ごすことを心に決めたのだった。
ながい昼休みに教室にひとりはつらく、よく図書館に行った。ここならひとりでいても誰かとしゃべらなくても浮かない。
現実の寂しさは続く。
私にできることは、暇つぶしに本を読んでやり過ごすことだけだ。
それでも、図書館と本は、少なくとも教室よりかは私に居場所をくれたように感じたのだった。
図書館で読んだ本で強烈に印象に残っているものがある。そのとき流行っていたライトノベルだった。
その本は「オタクでも、コミュ障でも、引きこもりのニートでもいいじゃないか!友達が少なくてもいいじゃないか!」と語っていた。
当時の私にはとてつもなく衝撃的だった。
オタクって隠さなくちゃいけないと思っていた(当時の私は相当なオタクだった)。
人前でうまくしゃべれないといけないと思っていた。
毎日学校に行かないといけないと思っていた。
友達は多ければ多いほどよくて、みんなと仲良くできないといけないと思っていた。
だから、うまくできない今の自分はどうしても惨めに思えたのだ。
けれど「大丈夫だよ!」と言い切ってくれる、本の先にいる大人がこの世のどこかにいるとわかったことで、少しだけ現状の自分を許すことができたと思う。
本を読んだからと言って現実が変わるわけではない。
結局中学2年生のこの1年はずっと居場所のなさを感じたままだったし、大人になった今でも友達作りは下手くそで、進学先でも「学校なんて大嫌い」と思うたび図書館に逃げ込んだ。
けれどなぜか今、学校で働いている。
その理由はきっと、図書館で出会ったあの本のように「大丈夫だよ!」と、子供の近くで発信できる大人になりたいからだと思う。
図書館も本も私も、あなたの寂しさを全て埋めることはできないかもしれない。それでも、いつかその寂しさに終わりが来るまでの暇つぶしくらいにはなればいいなと思っている。
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