大人の階段、と聞いて、あなたがまず思い浮かべることは何だろう。
今思い出すと恥ずかしくなるような甘酸っぱい恋愛。進路に向けて仲間と一生懸命頑張った勉強。想像するにどれも眩しいが、私の記憶とは「普通になりたくて、もがく中でかいた汗の結晶」だと思う。

念願の高校に入学。母に負担をかけたくなくて、自分でお弁当を作った

高校生の時だ。私は、念願の第一志望の高校に入学し……焦っていた。
憧れの先生が通っていた高校。一瞬で心を奪われた先輩たちが毎日部活動をしている場所。

ワクワクするなんて到底言い表せられない。こんな私が見合うのかどうか、いつか、こんなところにいてはだめだと言われるのではないか、入学してからずっとそんな思いでいた。それでも汗をかくほど頑張ったことが3つある。

まず、頑張ったのはお弁当作りだ。ひとり親の母が「あの学校は遠くてお金がかかる」と悩んでいたのを私は知っていた。遠い高校に通うということは、朝早く起きて夜遅くにご飯を食べるということだ。

どうしても行きたい高校だったから、親になるべく負担をかけたくなかった。「私、高校になったら自分でお弁当を作る」と約束した。

部活の朝練がある日は起きるとまだ暗く、冬は特に凍えるほど寒く、出かける頃でもまだ誰も家族は起きていない。でも、やると決めたからには、とやりきった。この毎日の習慣が大学生活でも苦にならなくなっていたから感謝もしている。

綺麗なお弁当、実力をつける部活の仲間にコンプレックスを抱いていた

次に、部活動だ。念願の吹奏楽部に入部すると、早々に中学校までの自分のスティックの持ち方や姿勢が間違っていることを指摘された。それは本当に基礎的なことだ。頭が真っ白になった。

その高校に行きたくて中学でも頑張っていた部活動。先輩や先生の言っているアドバイスが日本語に聞こえなくなるのに時間はかからなかった。先輩や同じパートの仲間に置いていかれていく実感がとても辛かった。

諦めの早い私は自信を失い、這い上がるというより「入部させてもらった」という感謝の気持ちと「居場所」を探して、ただ朝早く起きて早めに朝練を開始することを続けること、ノートをつけてその日のアドバイスをいつか飲み込める日が来るよう祈ることを人知れず続けた。

最後に、勉強だ。毎日綺麗なお弁当を作る余裕のある家族がいて、私よりも学校から近い家の友達。アドバイスをもとに実力をつけていく部活動の仲間たち。私はかなりのコンプレックスを抱いていた。「勉強もできないなんて、だめだ」自分の中で考えた。

行きたい国立の大学があった。言語学を学んだら自分の伝えたいことが伝わらないモヤモヤをなんとか解明できると思っていた。家にはエアコンがなく、車もない。塾に行きたいなんて気軽に言い出せるはずもなく、通い始めたのは図書館だった。

一番快適そうな近い図書館は自転車で片道30分。毎日、学校のある日もない日も、できる限りそこに通い続けた。お弁当はもちろん自作だ。図書館のある階を降りた廊下のベンチが飲食可能スペースになっていて、ご飯は一人そこで食べた。

誰を恨むわけではないが、ずっと寂しかった。お弁当を持って部活に向かう冬の寒くて暗い朝に、自転車に乗って図書館から帰る夏の暑い夜に、知らない人の家の明かりがほわんとついていて、「ああ、誰か声をかけてくれないかな」と思ったことさえある。

苦労する学生を助けたくてボランティアに参加。「わかるよ」と声をかけた

大学生になると、苦労している学生を助けたいという気持ちが沸き起こり、「学習支援ボランティア」に参加するようになった。そこには色々なバックグラウンドの大人たちと、家庭は複雑でも本当は学びたい気持ちを持った子どもたちがたくさんいた。

「わかるよ」と声をかけて一緒に作ったご飯を頬張れば、なんだか今までのことが報われた気がした。