毎日通っていたコンビニには、よく顔を合わせる店員さんがいた

仕事帰りに立ち寄る最寄り駅のコンビニ。ここにはよく顔を合わせる店員さんがいる。30代前半もしくは20代後半くらいにも見える、横長の黒い眼鏡をかけた男性店員。線の細い店員は、私が立ち寄る時はきまってレジに立っている。

私は一時期、仕事帰りのお腹を少しでも早く満たすためにそのコンビニで焼き鳥を買っていた。たれと塩を交互にほぼ毎日。焼き鳥を選んでいた理由は単純に好きという気持ちが半分、夜遅い時間に食べることへの罪悪感を少しでも減らしたい気持ちが半分(タンパク質でかつ鶏肉はヘルシーであると認識している)。

「いつもありがとうございます」の言葉をかけてこない店員が心地良い

来店すると店員は感じの良い声色でいらっしゃいませと何気なく声を発し、私は焼き鳥があるか確認してからレジに並ぶ。店員は焼き鳥の塩ですねと確認して、焼き鳥を準備する間に私は最近導入された自動レジでお金を支払う。

ただこれだけのことが何日も続いていた。これだけ毎日同じ時間に同じものを買っていく私のことを、店員も認識していたと思う。
しかし、店員は何度顔を合わせても、「いつもご利用ありがとうございます」などという親しみを込めた言葉をかけてくることはなかった。

私はそれがとても心地よかった。いつも同じ言葉と態度で、変わらない店員との距離感が、気兼ねなくそのコンビニに通わせてくれた。
仕事帰りにその店員を見て、勝手に仕事に勤しむ同志のように感じて、こころの中で「お疲れ様です」と労いの言葉をかけたこともある。

距離が近づくのは嬉しいけど、ずっと同じ距離でいられるのも尊いこと

変わらないということがこんなにも心地よいことを私は知った。今まで人との距離はより近く、親しくなれた方が良いと思っていた。私自身が他人と親しくなるまでに時間がかかるし距離を縮めることが得意ではない。だからより強くそう思っていたのかもしれない。

でも、ずっと同じ距離感でいられることも、尊いことなのではないかと思うようになった。距離が近づくのは嬉しいことではあるけれど、その分ストレスもある。私は仲良くなりたいと思っているけれど、相手はどうなのだろうかと考えてしまう。もっと親しくなれるかもしれないと期待する分、うまくいかなかったらと心配になる。

職場の人とも、小さなことをきっかけに話しかけにくくなってしまったり、気まずい空気が流れたり。だから、変わらないことも難しくて素敵なことなのだと思う。
人間関係、すべての人と親しい関係になれるわけではない。気が合う人もいればそうでない人もいる。そんな中で、変わらない距離感でいられることは、自分にも相手にもストレスをかけずに過ごしていける一つの方法なのかもしれないと思った。