友人を苦しめる正体は「女性はこうあるべき」という固定概念
私には5歳下の友人がいる。同じアパートの隣に住んでいるアカリちゃんだ。
寒さが堪える大寒の午後、彼女と、ついでに私の夫と、3人で近所の銭湯へ行った。
「マナさんって脚も腕も細くてうらやましい。私、痩せたいんです」
並んでシャンプーしていると、アカリちゃんが言った。
確かに私は脚と腕が細い。だが、運動不足でお腹がたるんでいる。
一方、アカリちゃんはスポーツの経験があり、痩せ型ではない。でもたるんでいる所は一切ない。私から見たら、若くて綺麗で健康的である。
「痩せたいん?なんで?」
「だって、スキニーのジーンズとか穿きたいし、夏になったらノースリーブも着たいんですよ。太いとみっともないじゃないですか」
加えてアカリちゃんは、こうも言った。
「ノースリーブに憧れてるんですけど、日焼けしやすくて肌もきれいじゃないんで、なかなか挑戦できないんですよ」
ちょっと意外だった。
それと同時に、残念だとも思った。
私から見たら若くてスポーティで素敵な女性であるアカリちゃんでも、自分の容姿に苦しんでいる。
そして彼女が本当に苦しんでいるのは、きっと彼女自身は気付いていないが、容姿が原因ではない。「女性はこうあるべき」という固定概念だ。
そんなもので苦しんでいる彼女を残念に思ったのだ。
「痩せなあかん」と毎日鏡を見て落胆し、誰かの悪口に怯えた過去
私もアカリちゃんの歳の頃までは、自分の体型がコンプレックスだった。
学生の頃付き合っていた彼氏は、街でぽっちゃりした女性を見かけると必ずその体型に言及した。
その人が横断歩道をこちらへ渡ってこようとすれば、「見てみ、デブが歩いて来るで」と笑い、自転車に乗っていようものなら、「あの自転車もうすぐ潰れるで」と言った。
今ならそれが失礼なことだと分かるが、当時は「自分も周りから太っていると思われていたらどうしよう」と不安に駆られ、彼にも「そうだね」と生返事をするだけだった。
彼と別れた後、深夜まで働いていた時期があり、変な食生活のせいで急に太ることがあった。
そんな私を見て家族は「痩せなあかん、みっともない」と毎日顔をしかめるのだった。
太っていることが失礼な場合があるらしい。
そう思って焦り、体型が隠れる服を着て怯えていた。学生時代の彼氏の言葉が思い出され、自分も誰かに悪口を言われているに違いないと思い込んでいた。
ダイエットのために毎朝ジョギングしても、毎日鏡を見て落胆し、「痩せなあかん、みっともない」に日々耐えるしかなかった。
自分の容姿に落胆する日々とは、なんと不毛なことか!
しばらくして体型が戻ろうと、私の「太っているように見えないか」の心配は収まらなかった。
太ったら「愛されてるのね」と笑顔で返すチリ人に、心底驚いた
今はそんなふうには一切考えていない。
海外に出るようになったことがきっかけだ。
違う考え方の人に囲まれて暮らしてみると、「痩せている必要がない」ことがよく分かる。
南米チリで生活していたときのこと。
私はチリに引越した当初、体型のことを気にしていた。
「私、少し太ったかもしれない。どうしよう」
揚げ物をよく食べるチリの食文化で、私のお腹周りはまたもたるんでいた。
するとチリ人の友人はこう答えた。
「どうして体型を気にするの?私の国では『Food is love』と言う。愛する人と、食べ物を分けるのが大好き。誰かが太ったら、『あなたは愛されてるね』と言うのが普通だよ」
友人の言うことは本当だった。
友人の家に招待されたら、お茶だけでなくありったけの食事でもてなされるのが普通だった。
それだけでなく、お世話になった人には食事でお礼をする。とにかくどこに行っても、仲間と食べ物をシェアするのが日常だった。
「太ってきたかな……」と私が言えば、チリ人がすかさず「愛されてるのね!」と笑顔で返すのだった。
日本での経験の差に、心底驚いた。
周りの人がみな、太ることにポジティブなイメージを持っている。
体型を気にしていたことが馬鹿馬鹿しく感じられた。
「こうあるべき」という概念なんて、私たちの頭の中にある幻想なのだ
痩せているほうが良いのか。
太っているほうが良いのか。
体型へのコンプレックスなんて、周りの環境によって簡単にひっくり返されるのだ。
今まで、なんて小さなことに苦しんでいたのだろう。
それに気付いたのは私がアカリちゃんの歳の頃。
あれ以来私は、「女性はこうあるべき」という概念から離れたところにいる。
もう気にしていない。そういう所まで来たのだ。
銭湯の湯舟に浸かりながら、アカリちゃんにそんな話をした。
彼女は不思議な顔で私の話を聞いていた。
女湯から出ると、先に上がった私のドイツ人の夫が待っていた。
「アカリちゃんね、痩せたいんやって。そして肌が白くなりたいんやって」
夫は目を丸くした。
「痩せていても太っていても、健康的な女性のほうが魅力的。そしてヨーロッパ人の女性は昔から、肌を小麦色に焼くのが大好き。白くなりたいなんて、もったいない」
ほらね、とアカリちゃんに言う。
「こうあるべき」という概念なんて、私たちの頭の中にある幻想なのだ。
「そっかぁ、いいのかぁ……」
アカリちゃんは少し、考え方が変わったようだった。
小さな世界から解放されて、自由に生きる女性が増えることを願った。