他人に「迷惑」をかけることを、日本社会にどっぷりつかった人間はことのほか嫌う。曰く、相手の時間を奪うからだそうだ。資本主義社会では時間は売ればお金が発生するから他人の時間はむやみやたらと奪うな、というのが私の元上司の教えだ。

金銭でサービスを受けられるようになっても、助け合いたいと思うのは

そもそも現代日本では、お金があればたいていの問題は解決する。お金があればどんなに嫌な奴でも助けてもらえるのだ。

友達がいなくても結婚式の招待客は埋められるし、介護してくれる子供がいなくても死ぬことはない。自分の時間がない子育て中のママは、近所のママではなくベビーシッターに子供を預ける。
人の「助けあい」をサービスに変換し、助け「あう」代わりにお金を払う社会になった、ということだ。

でも、私はいくら金銭でサービスを受けられるようになっても、だれかと助け合いたいと思う。「時間を奪うからむやみに頼ってくるな」とか、「対価を払え」なんて言いたくない。というか、言えない。
だって、留学中、異国の地であたふたする私に親切にしてくれた人は、いつもこう言っていたから。

「困ったときは助けられておけばいいから、あなたも困っている人を見つけたら助けてあげてね」と。

一人で全部すると気負うも、異国では難しい。私を助けてくれたのは…

彼女は私の留学先大学の正規学生で、日本への留学経験もあるいわば「お姉さん」のような人だった。
きらきらしたイメージを持たれがちの留学だが、中身はそうでもない。しんどいし、辛いし、なんで大金を払ってこんなところにいるんだろうと泣きたくなることも多い。

それでも、私が曲がりなりにも留学生活を平和に終えられたのは、彼女が何かにつけて気にかけてくれ、世話を焼いてくれたからだ。

彼女に出会うまで、私は「他人に迷惑をかけてはいけない」と強く信じていた。というか、他人に頼りすぎると鬱陶しがられて友達がいなくなると思い込んでいたので、友達でいて欲しい人に頼るのには抵抗があった。

だから、留学中も全部自分で滞在許可に必要な手続きをしないとだめだし、困ったことがあったら自分で何とかしなきゃいけない、と気負っていた。

でも、それはどうしても無理だった。
滞在許可を取るのに必要な書類はなぜか全部現地語で書かれていて理解できなかったし、授業が難しくてついていけないこともあったし、スーパーでの支払いの仕方がわからなくて(日本は親切すぎるのだ)レジのおばちゃんに怒鳴りつけられたこともあった。

外国に住んで自分ひとりでなんとかするなんて、ハードルが高すぎた。

私を助けてくれた彼女は「私が日本に行ったら助けてね」と笑った

滞在一週目でもう留学なんてやめてしまいたいと思っていた私を助けてくれたのは、あのお姉さんみたいな彼女だった。到着した日から、大丈夫か、困ったことはないか、と頻繁に連絡をくれたり、アジア系の食品が売られている店に連れて行ってくれたり、友達を紹介してくれたりした。

役所までついてきてくれて滞在許可証を取る手続きをしてくれたし、寮から大学までの通学定期の買い方も教えてくれた。

最初は、留学生の世話なんてさせて申し訳ないなと思っていたのだけれど、彼女はとても自然に、そしてなぜか楽しそうに私を助けてくれた。そして、「私が日本に行ったらいっぱい助けてね」と笑っていた。

彼女のおかげで、私は書類の不備で不法移民になることも、心がしんどくて帰国することもなく、無事に日本に帰ってこれた。ありがとう。

そもそも私は、留学に行くまでも他者に頼らずに生きていたことはなかった。家族以外の「他人」を頼るのに抵抗があっただけだ。そう思うと、別に頼ることは悪くない気がした。