勝気な性格の私は残念な子。家事が一通りできても貰い手がないらしい

私は自分の意見をはっきり言う子供だった。1980年代の西日本の田舎町では、そんな女の子に周りの大人は口を揃えてこう言った。

可愛げがない。将来嫁の貰い手がない。女の子は家の事を手伝って、大人の意見に従って、男を立てるのが当たり前。

私は幼い頃から家の手伝いをしっかりする子供だったし、親類が集まる席でも率先して準備から片付けまで手伝っていた。なんなら中学生になる頃には家事は一通りできたし、夕飯も母と共同で作っていたけれど、それが評価につながることはなかった。
これで可愛げがあれば良いお嫁さんになれるのに。残念な子。つまり、わきまえろという事だ。

救いだったのは、私の両親が私の勝ち気な性格を心配しながらも、否定しないでいてくれた事だ。
そして、成長と共に闘わない勝ち方も学んでいった。相手を下げて自尊心を満足させる人間と同じ土俵に立つことはない。意見の合わない相手の話を否定も肯定もせずに受け流す能力を身に付けることは、わきまえずにしか生きられない私にはとても役に立った。

嫁の貰い手がなかったはずの私は、20代前半で結婚し子供を生んだ

そうして時は過ぎ、嫁の貰い手がなかったはずの私は、20代前半で結婚し子供を生んだ。
ダンナは家事のできない人で、私がパートの間はたまの休日に簡単な家事をする程度だった。
でも、私がフルタイムで働き始めてからは、話し合って少しずつダンナの分担を増やしていき、10年経った今、彼は食事が終わればすぐに食器を洗いに立つし、休日の朝は進んで掃除機をかけるしお風呂も洗う。大学生になった息子も、洗濯物を取り込んで畳むし、平日のお風呂洗いもする。
私の負担が一番大きいことに変わりはないし、不満がないわけではないが、それぞれのキャパもあるし、向き不向きもある。できることを頑張ってくれるなら、そこで折り合いをつけるのが一番良いと私は思う。

今は、私はコロナの影響で在宅勤務になり、通勤時間がなくなった分、家事に時間をかけられる様になったけれど、家族の分担に変わりはない。

やってもらって当たり前じゃない、自然にありがとうが言える家族に

在宅時間は長くなったものの、仕事が楽になったわけではなく、残業も当たり前にあるし、休憩を取る暇なく仕事をする日もある。むしろ、今までは会社にいて目にすることがなかった働くパートナーの姿を目にし、協力し合おうと思えない様な人など、私は願い下げだ。
お互いが担当の家事をすることに、特にお礼など言わない。でも、なにか気を利かせてくれたと感じた時は、自然にありがとうと言い合えていると思う。
たとえば、勉強している息子の隣に熱い紅茶を置いた時、ダンナが私の分もアイロンをかけてくれた時、ごく小さなことだけど、そうしたことに気づけてありがとうと自然に言葉にしている。

家族だからこそどうしても甘えや傲慢さが出てしまいやすい。だから、時々盛大にケンカもするし、“察してちゃん”になってこじれたりもする。互いの分担はちゃんとこなすけど、やってもらって当たり前じゃないよね、という気持ちは忘れない様にしたいと思っている。
そうやって家族で一緒に作ってきた私の家庭は、山も谷もありつつ、23年経った今も円満だ。

あの頃の大人達は、今の私や家族を見てどう思うだろうか

子供の私にわきまえることを強要していた大人達は、そんな風にパートナーや家族に接することがあったんだろうか、と大人になってから何度か思うことがあった。
もしあの時代の大人達がそういう接し方を知っていたら、そういう関係性の心地良さを知っていたら、わきまえるなんて言葉自体存在しなかったのかもしれない。そう考えたら、なんて勿体ないことなんだろう、と思う。
あの頃の大人達は、今の私をなんて女だ、と非難するのだろうか。そして今の私の家族を見て、男のくせに情けないと貶すのだろうか。それとも羨ましがるだろうか。
どちらにしろ、私がわきまえないことで私の幸せを築いてきたことは間違いない。