「#わきまえない女」がトレンド入りして最初に思ったこと、それは「わきまえるってなに?」だった。

少しずつ変わっていく時代。時代と共に私の考え方も改善されていき

子供の頃はあの「関白宣言」もヒットした昭和の時代の中で育ち、平成、令和と移り行く時代の中で、自分の中で絶対だった父の存在も少しずつ変わっていった。
亭主関白よりも今の時代はイクメン!!と言われた時代があり、多くの育児雑誌でイクメン特集が組まれた。
その結果、子供を公園で遊ばせたり、保育園に迎えに行ったりするパパが増えた。
親の世代では「私が若い時は」と批判的な声もまだ多く聞こえてきていた。
しかし今ではパパが育休を取れる制度もでき、働いてるママも多い時代。

二人の子供なんだから二人で育て、家事も分担するのが当たり前になった。
現在ではあんなにもてはやされたイクメンっていう言葉さえも「イクメンってなに??」「自分の子でしょ??」と否定される時代になった。

私の最近最も仲のいい友人はバイセクシャル。相談の内容によって女友達だったり、男友達だったりの役回りを果たしてくれる。
昔の自分からは考えられないことだ。

これも時代によって私の考え方が改善された結果だと思う。
高校生の時、ナヨナヨした同級生がお菓子を作ってきてくれても、「なんか気持ち悪い」そう感じていた。

女性がかっこよく生きていける社会を願っていた

今では、いまの私だったら、彼(彼女)と恋バナの一つも出来るだろう。
卒業して彼が女の子になったと人伝に聞いた時、あの時の自分を後悔したのを覚えている。
わかっていたら、女子同士の会話をする事が出来たかもしれない。
そう数年で私は素直に思えたのだった。

そんなこんなで生きてきた今の私が冒頭のトレンドワード「#わきまえない女」に真っ先に思ったのは、わきまえるってなに??だった。

わきまえること自体は中学の寮生活で叩き込まれたが、それ以降はたぶんわきまえることを避けて生きてきた。
平成になって、令和になって、わきまえることに当たり前に疑問を持ち、女性がかっこよく生きていける社会になればいいなとどこかでは思っていた。
大人になると、職場で年上の同僚から「自分たちもこうしてきたから」と、女性らしさや誰がしてもいいことを女性の仕事だと求められる事があった。

こんなに時代が変わっても、「わきまえない」がトレンド入りするのは

プライベートでも、結婚したら子供だ、子供を産んだら女性は大人しく家にいるのが当たり前。そしてもし子供が出来ないとなれば当たり前のように女性のせいになっていて、「まだ若いから」と励まされることがあったり、女の幸せ=結婚して子供を産む事が当たり前を押しつけられる地獄。

大人になってしばらくすると、はっきりと女性らしくあることに疑問を持つことになる。
だけど、自分一人が争ってもなにも変わらない現実。
こんなに時代が変わっても夫婦別姓はなかなか進まず、結婚したら〇〇の嫁という印象を解消するきっかけも望めない。

そんな時にトレンド入りしていた「#わきまえない女」。この言葉に真っ先に思ったのは、「わきまえるってなに?」。
わきまえることが嫌いな私は、意味は分かっていた。
だけど、わざわざ「〇〇しない」という表現に疑問をもった。
そして答えはすぐにでた。
「ああ、そうか、『女はわきまえるのが普通』が前提の世の中だから『#わきまえない女』が流行ってんだね」