いつものように目が覚める。朝ごはんを食べながら、テレビのニュースが耳に入っては出ていく。時計を見たら学校に遅刻しそうで、焦って家を飛び出す。
でも、その日はなんか違った。

被害女性の服装を事細かに説明するニュースに違和感

その日のニュースは、21歳の女の人が夜道を歩いてたらレイプの被害を受けたという内容だった。女性の服の特徴を事細かに説明しており、違和感を覚えた。
そのもやもやはなぜか拭えず、家に帰って母に、そういえば今朝、こんなニュースあったよね、どう思った?と聞いてみた。すると、レイプするほうが悪いのは確かだけど、でも女性の方も何も言えないわよね、あんな格好で夜遅くに歩いてたら襲ってくれって言ってるようなものだもの。

確かに、ミニスカートで歩いていたら襲われても当然かもしれない、なんてそんなわけない。ここでようやくもやもやの正体がわかった。
ニュースは女性が被害にあったという客観的な事実を伝えているように見せかけて、レイプを受けた女性の非を伝えていたのだ。
情報に惑わされるなというのはこういうことかもしれない。知らないうちに洗脳され、考え方がコントロールされてしまうなんてとても恐ろしい。なぜ素直にレイプするほうが悪いと言えない社会なのだろうか。なぜ女性たちまでもが、それを受け入れてしまうのだろうか。

被害を訴えそれを支える社会と、被害者が白い眼を向けられる社会

そのような社会だからこそ、日本では表に出ない犯罪が多いように感じる。渋谷で起こるハロウィン等が典型的な例だろう。
一度顔を出したことがあるが、私の目の前で、触られたり、 猥褻な言葉を投げかけられたり、といった被害にあっている女性をたくさん目にした。しかし次の日のニュースでは一切取り上げられず、ただ混み具合のすごさが伝えられていた。
女性が被害にあうことよりも、混むことのほうが問題視されてしまう社会に嫌気がさす。

アメリカでは、多くのハリウッド俳優による性犯罪が問題となり、大きな運動に発展したこともある。大物俳優や監督を訴えることにより、今後の仕事が危険にさらされる覚悟で訴える女性がいて、なおかつそれを支える社会がある一方、日本のように、被害を受けたほうが白い眼を向けられる社会もある。
そんな社会で声を上げるのはとても大変だ。ましてや、女性はおしとやかでいるほうがいいといわれて育ってきている。女子力はそれを代表する言葉だろう。
本当は女子力なんてはっきりした定義は存在しないのに。自分の意見を言うことが、がめついといわれて育ったら、声の上げ方なんて忘れてしまう。

女性軽視がはびこる日本で、意見を言いやすい社会を目指したい

考えてみると、日本では自身のことをフェミニストだと名乗る人を見かけない。世界に目を向けてみるといろんなフェミニストの活動がある。一番衝撃を受けたのは男女不平等の問題を訴えていたものだ。彼女たちは服を脱いで、裸になり抗議するというスタイルに出た。

その方法の是非はさておき、なんて自由な社会なんだろう。そして、運動に賛同する女性側の覚悟と行動力も驚かされるものがある。

日本では政治業界だけではなく日常生活等そこら中に女性軽視がはびこっているように感じる。だからこそ、まずは、自分の意見を言いやすい社会を目指して、どこかでこの投稿を見た誰かが、気づいて、みんなで気づきの輪を広げていけたらいいなと思う。