夏目漱石の『こころ』は、多くの高校で国語の教材として扱われている。それは母校も同じで、わたしは高校2年生の冬に『こころ』と出会った。
大人によって適切な抜粋と要約がされた『こころ』はずいぶんと味気なく見え、とても読む気になれなかった。この数年後、新卒入社した会社を退職して大学院へ進学し、夢中で文学研究に没頭するというのに。
高校2年生のわたしは、文学への興味が薄かった。

周りの空気感に負けて文学に対する興味は薄れ、居眠り常習犯に

小学生の頃から大学に行きたかった。本が好きで、小説が特に好きだった。大学の文学部に行けば小説などの、いわゆる「文学」とよばれるものだけを勉強できると思っていた(現実はそんなことは絶対にない)。その好奇心のまま、大学進学に有利な高校に入学した。
けれども高校生になってから、見える景色がずいぶんと変わった。

「文学部に行ってどうするの?」という周囲。文学には実用性がなく、社会に出ても役に立たない。だから文系の学部に進学するにも、経済とか法律とか語学とか、そういう実用的なことが勉強できる学部の方がいいに決まっている。就職にも有利だし、と。
さらには「本を読むのってダサい」という空気感。他人と接せず、ひとりで本の中に没入している姿は「一緒に過ごす相手もいない可哀そうなひと」に見える、と。

今ならどちらも笑い飛ばせるし、何なら相手を言い負かす自信だってあるが、あの「教室」という狭くて息苦しい空間の中で、その流れに逆らうのは当時のわたしには不可能だった。
そうしてずっと大事に持っていた文学への興味は薄れていき、授業にも身が入らず、居眠りの常習犯として有名になっていく。

卒業後のプランは白紙。出口のない自問自答を繰り返し続けた

特に注意されたのは国語の担当教師だ。うとうとと船を漕いでいると「のはる、寝てるぞ」と注意され、「寝てません」と誤魔化すわたしのやり取りは日常茶飯事で、クラスメイトも呆れ顔だった。
そのくせテストではそこそこの点を取るのだから、先生は堪らなかっただろう。嫌な子どもだと我ながら思う。

文学部への進学が目的だったのに、高校卒業後のプランが白紙化してしまった。学部を変えるにしても、理系は大の苦手だし、経済とか法律とかよくわからないし興味がどうも持てない。語学だって苦手だ。
ならばいっそ、専門学校にでも行って手に職をつけるか?でも、その分野は何がいいのだろう?
専門的に学ぶほど好きなものは特になかった。文学以外には。
3年生になったら進路を決めて、本格的に動かなければならない。そのタイムリミットをひりひりと肌で感じながらも、出口のない自問自答を繰り返し続けた。進路調査表を期限が過ぎても提出しないで、担任に呼び出されるなんてこともあった。

やっぱり文学って、面白い。『こころ』を扱う授業に気づけば夢中

そんな時だったのだ。『こころ』を授業で扱うようになったのは。
居眠り常習犯のわたしだが、まれに授業中に起きていることもあった。それは一週間の中でも片手で数えられるくらいの数で、教科に統一性はない。だから、本当に偶然だった。どうやら今回の授業は起きていられるようだし、どうせならちゃんと授業を聞いてみるか、というような気まぐれが重なったのは。
気づいたら授業に夢中になっていた。

いつもノートには居眠りの証拠にミミズのような文字が走っていたが、しっかりと板書は写していたし、なんなら端っこには自分なりの考えを書き込んでいた。
行間に横たわっている細かいニュアンスを読み取って、そこから考えを広げていく。なぜこの言葉が使われたのか?なぜこの人物はここでこんな発言をしたのか?作品の歴史的背景にはどんなものがあるのか?……授業は思っていたよりもすんなりと頭に入ってきた。そして強く思った。とても興奮していた。
ああ、やっぱり文学って、面白いな、と。

「文学が好き」という理由で人生の岐路を選び続け、今のわたしがいる

だからといって授業中の居眠りが綺麗さっぱりなくなったわけではない。それ以降も注意されて誤魔化すやり取りは繰り返された。それでもその時、わたしの中で何かが変わったのは確かだった。
3年生になって進路を決定する際、正直また迷った。大学か、専門学校か。それでも、頭にとっさに浮かんだのは「いやでも『こころ』の授業、すげー楽しかったじゃん」だったのだ。
ああもう嘘はつけないな、とその時に思い知らされた。選ばない/選べない理由を他人のせいにして、目を逸らし続けていたことを。きっとどこかでわかっていたのだ。だから、他の選択肢を選び切れなかった。
そうして、わたしは大学へ進学することを決めた。学部はもちろん文学部で、専攻は日本文学だ。

実はこういう選択をするのはこれが最後ではない。就活の時も、大学院進学を選んだ時も、同じように「文学が好きだから」という理由で人生の岐路を選び続けて、その結果として今のわたしがいる。
『こころ』はとてもハッピーエンドといえる終わり方をしない。それでもわたしには特別なのだ。どれだけ他に心の琴線に触れるものに出会ったとしても。
人生のどの分岐点に立たされようと、他にどんなに魅力的で安定した道があったとしても、わたしは文学を選ぶのだろう。
ここには揺らぐことのないわたしの芯があると、信じられる。