私なりに乗り越えたつもりなのに、3ヶ月の地獄が癒えない傷になる

教室という小さな社会が世界のすべてだった小学6年生。私は過ちを犯した。
本当に些細なことだ。いくつか思い当たる節もあるが、いやがらせをしてきた人たちに直接その理由を尋ねる勇気なんて持ち合わせていなかった。
今となってはもう真相を確かめることなんてできないし、きっと誰も覚えていない。
あれをいじめだったと認めてしまうのはあまりにみっともなくて、情けない。けれど、確かにあれはいじめで、私はいじめられていたのだと思う。

私なりに乗り越えたつもりだった。靴を濡らされたことも、物を隠されたことも、給食の配膳の時、私の後ろには誰も並ばなかったことも。
嘲笑う声は聞こえないふりをした。すべて許し、どんな時も笑うようにした。自身の行為はできる限り改め、努力した。    
すると、私の周りに人が戻ってきたのだ。悪口を言っていたリーダー格の子が「修学旅行で同じ班になろう」だなんて言ってきた時は本当に驚いた。
関係は修復した。しかし、すべてが元に戻ったわけではなかった。
たった3ヶ月ほどの地獄が癒えない傷をつくった。この、誰の記憶にも残っていないようなつまらない過去が、じわりと首を絞めて苦しくなる瞬間がある。

あらすじと、無意識に自身を重ねる。ヒトリコはもう一人の私

中学1年生。ホームルームが異様に長かったあの日、私は配られた手紙に隅々まで目を通していた。その中の1枚に図書だよりがあった。
司書のおすすめで『ヒトリコ』というタイトルの本が紹介されていた。著者の名前は見たこともなかった(著者である額賀澪さんのデビュー作だったため)。
濡れ衣を着せられていじめられた小学5年生の少女が、「ヒトリコ」としてみんなに属さずに生きていく、というあらすじを無意識に自身と重ねていた。

やはりそこにはもう一人の私がいた。
一人でいる日都子だからヒトリコ。そして、ヒトリコはこう言うのだ。「関わらなくてもいい人とは、関わらない」。
偏屈ともとらえられるようなこの言葉を、ヒトリコを、貫きながら生きた。いじめがなければ人を虐げ、傷つけていた側かもしれないから。それなら私は一人でいい、と。

ヒトリコはもう一人の私と先述した。具体的には、なれなかった自分だ。選択肢にはあったけれど私は選べなかった。
私はどこまでも臆病で笑うことしかできない。みんなの中に戻るにはどうすれば良いか、みんなに赦されるにはどんな態度でいれば良いか。そんなことしか頭になかったのである。
蓋をしたはずの1年前のあの日々が生々しくよみがえり、鳥肌が立った。とても泣きたい気持ちだった。自分を押し殺してまで、私はあの場所に戻るべきだったのだろうか。

無理に自分を変えようとした私には、すぐ笑ってしまう後遺症が残る

これは後遺症だった。
よく笑うね、と言われる。最近はアルバイト先でゲラだと言われた。とにかくヘラヘラ笑ってしまうので生徒にも舐められる。大して面白くなくてもとりあえず笑う。次第に気持ちが高まって声を出して笑う。

いつしか、そうせずにはいられなくなってしまった。陰気臭い部分を見せては人に嫌われてしまう気がした。だから、人前で泣かないし、弱音を吐かない。
それほどまでにあの出来事は大きな影響を及ぼしたのだ。いじめられている状況から抜け出そうと無理やり自分を変えるのは辛いことだった。12年間分の自分を殺すようなものだ。心の中でも毒づくことなく、無視されてもいいから挨拶をして、笑顔で取り繕って……。
結果的にそれが功を奏したものの、あれを続けていたら私はどうなっていたのだろう。どうなってしまったのだろう。

「関わらなくていい人とは、関わらない」は、人に好かれようと頑張りすぎていた自分を優しく正してくれた言葉だ。

ヒトリコの生き方には憧れるが、私はこの先もヒトリコにはなれない

私はこの先もヒトリコにはなれない。ヒトリコの生き方には憧れるが、「関わらなくていい人とは、関わらない」なんてことは言えない。けれども、必要じゃないものにすがる必要はないのだと理解した。
今、私の周りにいる人はさほど多くはない。以前よりも少なくなった。けれども、そのままの私を受け入れてくれる人たちである。ヘラヘラと笑うのが癖な私に「それでもいいよ」と隣にいてくれる。その人たちを大事にしようと決めた。

いつまでも乗り越えられない過去がある人にぜひこの本を読んでもらいたい。自分を傷つけたもの、歪めてしまったもの。
こういった取り返しのつかないことへの向き合い方は難しいけれど、きっとヒントが得られるはずだ。