私はよく人を頼ってしまう方の人間であると自分で自覚している。家族や友人、先生、先輩など私に関わってくれている人に頼り、助けてもらい、ここまでやってこれたと言っても過言ではないと。
しかしながら、誰かを「切実に」頼ったのは最近のことだった。

あこがれの東京生活と現実との違い。正直私はついていけていなかった

大学進学とともに地元を離れ、上京した私は「東京」という土地や雰囲気に対し、無性にあこがれと希望をもっていた。
それは私が今まで感じたことのない何かや見たことがないものを、見せてくれるところであると思っていたからだ。東京で多くのことを学び、経験し自分の糧となるものや将来、自分がしたいことを見つけることができればと、目を輝かせていた。

しかしながら、現在も世の中に猛威を振るっている新型コロナウイルス感染症の影響により、大学の授業はオンライン授業になり、外出の制限を余儀なくされ、気軽に行ってみたいお店や、やってみたかったことの計画は壊され、自分の思っていた大学生活、東京生活とは全く違うスタートになってしまった。
あこがれの東京生活と現実との違いに、正直私はついていけていなかった。はっきり言ってしまえば残念で仕方なかった。

しかし幸いにも私は家族と上京してきたため、外出もできないうえに、家にひとりぼっちでいることもなく寂しいという思いをすることはなかった。本当に良かったと改めて家族のありがたみを知った。

だが家族と一緒であるといえども、生まれてからずっと過ごしてきた故郷は、どうしようもなく恋しくなってしまう。特に恋しくなるのは故郷で苦楽を共にした友人達である。
今まででも散々わかっていたつもりだったのに、友人達にどれほど助けられ、支えられていたのかということを離れてから身にしみて感じた。
しかし、そのことをもっと身にしみて感じることが先に待っているとは、その時はまだ思いもしなかった。

友人達とうまくいかないコミュニケーション。孤独感が急速に深まる

オンラインの生活にも慣れ、対面授業が少しずつ増えてきて、東京で少しずつ友人ができ始めたころだった。
ある友人達と休日に出かけようという話になり、予定を合わせるべくLINEでグループを作った。日程は決まっていたので、あとはどこに行くかということを決めるだけだった。
しかし候補は挙がっていたので、私はその場所を調べた。すると残念なことに予定の日が定休日だったので、早く知らせないとと思い余裕をもって連絡をしたが、予定日の前日の夜になっても誰からも連絡がなかった。
この件だけならそんなこともあるだろうと割り切れたが、同日に私の孤独感を急速に深めさせる出来事がもう一つ起きた。それは先に述べた人達とまた別の人達でグループワークがある授業でのことだった。

手分けして提出しなければならない課題があり、これもLINEでグループを作った。私は課題の提出日がまだ先であると思いこんでいたが、1人から夜に「明日の昼までの課題どうする?」というメッセージが届き、期限が明日であると知った。
その時にまず提出期限を確認していなかった自分に失望した。すぐどのような構成にするか考えようと連絡をしたが、また誰からも返事がこず私の案をまとめて送信できる準備をしていたのだが、夜遅かったことから寝落ちしてしまっていた。
朝急いでメッセージを確認すると、予定があってパワーポイントを作ることができないから、お願いしてもいいかというメッセージがグループメンバー全員から届いていた。またそれと同時にその日遊ぶ予定だった友人達からも、体調が悪いから遊べなくなったというメッセージが届いていた。

今までで一番孤独を感じた日、母の胸の中で泣いて母に切実に頼った

今までに辛いことや悲しいことがなかったわけじゃない。でも正直私は今まで出会ってきた友人達との付き合いの中で、こんなことを経験したことがなかった。故にその日が私にとって今までで一番孤独を感じた日になった。

私はその人達に嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。まだ喧嘩をするほど会って話せてもいないし、互いのことを充分に知ってもいないのに。そんな思いが頭から離れなかった。
それと同時に、故郷の友人達なら絶対こんなことはしない、早めに連絡をくれて私に相談し、意見を言ってくれるのにと故郷の友人達のことを思い出し、自分が今まで周りにどれだけ恵まれていたか、そのありがたさと恋しさから泣いてしまった。

すると母が私のそばに来た。私は今までの中で一番母の胸の中で泣いて母に切実に頼った。そして私が話し終わるまで黙って私の話を聞いてくれた。母は私に「故郷の友達との縁をこれからも大切にしないとね」と言った。本当にその通りだと思った。
後日、今度は故郷の友人達に切実に頼った。たくさん話を聞いてもらった。そして友人達がそろって私に言った。
「いつでも帰っておいで、私らが東京であった辛いことも悲しいことも全部分かち合うし、忘れるぐらい笑わせてあげるから!」と。
この言葉がどれだけ私を励まし救ったか、彼女たちは気づいているだろうか。大切にしなければならないもの、それはこれからもずっと変わらない。そう感じた。

私にとっての「頼る」とは「大切な人」に「話を聞いてもらうこと」

人によって「頼る」というのは「何」に頼るか、「どのように」頼るかというところが違ってくると思う。
私にとっての「頼る」とは「大切な人」に「話を聞いてもらうこと」である。だから私が話を聞いてほしくて切実に頼ったとき、いつも大切な人達が支えてくれて、励ましてくれる、だから私は頑張れる。
そこで私は励ましてくれる友人達や家族に伝えたい。

私にとってあなたたちがそうであるように、あなたたちに何かあったとき、あなたたちにとって私は切実に頼れるような存在ですか?もし私がそんな存在であれたのなら、私は何にでもなろう。私が励まされたように私もあなたたちを励ます存在になろう。
私にとってあなたたちは私の一部であるから。