私は人を信じられない。
信じられなくなった。
そうなってしまった私が切実に頼った人が2人だけいる。

小学生の頃も、中学生の頃も、私は女子の大人数のグループの1人だった。
グループ内の誰とでも仲が良く、苦手と思う友人はいなかった。
ひとりひとりが信頼できる友達だった。
グループの中には親友と呼べるほど、何でも話せる友人だっていた。

いつも一緒だった親友から突然の無視。人を信じられなくなった

私は、もともとおしゃべりな性格で、悩み事や相談もその親友に話すようなタイプだった。

人を信じられなくなったのは、中学3年生の時。
いちばんの親友だと思っていた友人が、ある日急に私と話さなくなった。
何を話しかけても、何も話してくれなかった。ずっと無視されるのだ。
2年生の頃から仲良しだった私たちは、休み時間も係や委員会活動も選択授業もなんでも一緒だった。
だから尚更、理由が分からなかった。
私はどうしたら良いのか分からず困惑した。
この状況を受け入れるのにはたくさんの時間が必要だった。
幸いにも、他の友人たちは今までと変わらず私と接してくれたから1人にはならなかった。
でも、たった1人、大切な人を失った悲しみは深く、今でも思い出すと涙が止まらず、自分の胸の中にだけしまっている悲しい思い出。

これは、中学を卒業するときに、その仲違いしてしまった友人から別の友人を介して手紙をもらい知ったことだが、原因は彼女の私に対する嫉妬だったそうだ。
自慢をするわけではないが、私は中学の中で成績は学年トップレベル。委員会や部活動ではいつも部長を任され、学年から4人だけ選ばれた人だけが受けられるリーダー研修も受けに行った。
そういった私にとっては、気にもとめていなかった事が、彼女を深く傷つけ、追い込んでしまったようだ。
手紙で、彼女はすべてを私に謝った。
こんなことしかできなかった自分が嫌いだと。
こんなことするべきではなかったと。

私はこの手紙を読んで、素直に嬉しいと思った。
また信頼していた友人が1人戻ってくると思うと、こんなに嬉しいことはないと思った。
だから、彼女の謝罪を何の迷いもなく受け入れた。

あの出来事は私に影響を与え、誰に対しても特別な気持ちが湧かない

だけど、高校生になった私は友人の作り方も接し方も分からなくなっていた。

あの出来事はまだ中学生だった私には、思った以上に深い悲しみや裏切りの気持ちをもたらしていたのだろう。
もう信頼できる親友がいないのだと受け入れるために、彼女には私が必要なくなったのだと言い聞かせて、受け入れるように努力してきた。
だからだろうか、誰に対しても特別な気持ちが湧かなくなってしまった。
学校や部活でちょっとした会話や時間を楽しむ友人はいたが、親友と思える人はいなかった。
悩みや相談は誰にもできなかった。
私に深い悩みや相談をしてくる友人はいたが、その人に対して逆に私が相談することはなかったし、彼氏ができてもその人を他の友人よりも特別だとは思えなかった。

きっと、私は私を友人だと大切にしてくれる人たちを信頼できていなかったのだろうと思う。
自分が信頼しなければ、相手からも信頼してもらえない。
自分から自身を公開しなければ、相手も自身を公開してくれることはない。
これ以上の深い関係をできることはできない。
当たり前のことだったのに。

病気で豹変した私をずっと支えてくれた彼。この人なら信じてみよう

そんな人生を歩み続けて、大学を卒業し、助産師として就職した。
私の周囲の人への気持ちや考え方は変わらなかった。まるで中学生の時から時が止まってしまったかのように。

助産師として働きはじめて3か月、私は適応障害を発症し、働けなくなった。
病気のせいだろうか、私には誰も相談できる人がいないという孤独感が私に追い打ちを掛け、死にたいと思うことすらあった。
でも、それを誰に言ったらいいのか分からない。
誰に救いの手を求めれば良いのかすら分からなかった。

そんな私を大学2年生の頃から4年間ずっと支えてくれていたのが、今の彼氏だ。
私が、人を信頼できずに友人とは薄い関係性しか築けなかったときも、病気で精神的にかなり落ち込んでいたときも、病気で豹変した私もずっと受け入れ支えてくれていた。

私はあの時以来、誰も信じることができずにいた。
だけど、再び「この人なら信じてみよう」と思えた。
私は地獄にいると思っていた。
だから彼を切実に頼った。
彼なら私に救いの手を差しのばし、何か変えてくれるかもしれない。
そう思えた。

そんな彼に支えられ、再び仕事に戻ることができた。
仕事に戻ったものの知識や経験が少なかった私には、仕事もまた大変な困難の連続だった。
なかなか仕事を覚えられない、要領の悪い自分に嫌気がさした。
私が対応する患者さんには、申し訳ないという気持ちすらあったし、私がいなくたってなんとか回っていくのでは、と思ったりすることもあった。

彼との赤ちゃんは存在だけで心強く、頑張ろうと思える大切な家族

そんな仕事の日々を支えてくれたもう1人が、彼との赤ちゃんだった。
お腹にいるのは、まだ小さな小さな袋とミリ単位でしかない赤ちゃん。
だけど、その子が私のお腹にいてくれると思うだけで、私は頑張れた。
つわりがきつくて、仕事はもっときついものになったけど、それでも私にこの子がいてくれると思うと、その存在だけで心強かった。

その子は何か事情があったのか、大きくなれなくて、まだ小さいうちに私のところからいなくなってしまった。
私たちは深い悲しみの中にいたが、彼だったから一緒に受け入れることができたと思う。
もちろんその子を忘れることはできないが、今はその子も大切な存在で、大切な家族の一人だと受け入れることができる。
そして、私たちはいつかまた子どもを授かれたらと準備をしている。
信頼を再び教えてくれた彼となら、きっと私は幸せになれるのかな、と淡い期待すらしてしまう。

誰も信頼することができなかった私を、この2人が変えてくれた。
私が切実に頼った大切な2人である。
私は人を怖れずに、人を信頼して生きていこうと決意している。
自ら自身を公開していくことで、相手にも信頼してもらえるように心がけている。

大切な2人が教えてくれたことだから。
次は私が誰かの支えになれたらいい。
それがいつかめぐりめぐって2人の恩返しになればいい。