私はよく人に頼られる。友人、母、姉、バイト先、サークル、ほぼすべてのコミュニティで誰かしら必ず相談事をしてくるし、頼まれごとが多い。恋愛、仕事、家庭のこと、「私に聞く!?」ということまで意見を求められることもある。

私は人の相談には乗るのに、人に相談することができなかった

人に頼られること、相談されることは自分を必要としてくれている証であり、信頼してもらえている証でもあると思う。もちろん、必ずちゃんと考えて相談に乗るし、自分にできることならやってあげたい、助けてあげたいと思っている。
しかし、たまにそれが嫌になる。「私だって大変」「私だって悩んでいる」「なんで私ばかり」と。
「助けてあげたい」と思うのにその人が嫌いになりそうになる。しつこいと思ってしまうし、そんな自分が嫌になる。

私には姉と弟がいる。私は次女で中間子だ。幼いころから姉を見て育ち、両親からは「手のかからない子だった」と言われる。自分でも、人との関わり方や空気の読み方は、家族の誰よりも得意な自信がある。
人に頼るより、自分で解決した方が速いし楽。自分の悩み事は他人が解決などできないと思っている。こんな言葉をかけてほしいな、などと相手に期待するのは傲慢で、面倒くさいとも思う。
だから私は、人の相談事には乗るが、人に相談することはしてこなかった。それでも大丈夫だと、根拠のない自信を持っていたのだと思う。私は自立していて強い人間だと勝手に思っていた。

大学2年の時、自分の精神力を過信しすぎていてボロボロになった

そんな私は、大学2年の春から東京で一人暮らしを始めた。ホームシックにもならず、家事全般もできたためあまり苦労はしなかった。
しかし、一人暮らしとほぼ同じタイミングである学生団体の運営と、アルバイトを2つ始めてしまった。学生団体の運営に関しては、先輩から声をかけてもらい、「やります」と返事をし、アルバイトも自分がやりたかった仕事に採用してもらい始めることとなった。

自分の力、特に精神力を過信しすぎていたため、2か月後、私はボロボロになった。朝起きても「何もしたくない、すべてやめたい」と思ったり、夜は一人で泣いた。
しかし、私は誰にも頼らなかった。私を頼ってくれる人は皆「あやも私を頼ってね」と言っていたし、頼られていたからこそ頼り方を知っているはずだった。周りの人が頼りないわけではないし、大好きな人ばかりである。だけどなぜか、頼ることができなかった。

私の心の支えになって、前に進む力をくれた「推し」の存在

では、私は誰を頼ったのか、それは、「推し」である。私を助けてくれたのは一人のアーティストだった。中学校からずっと応援していたグループが私を救ってくれた。
ライブに行くことはできても、遠い存在で実際に面と向かって話すことはできない。しかし、私の心の支えになって、また前に進む力をくれたのはまぎれもなく「推し」である。

「がんばりすぎないで、大丈夫、必ず幸せになれます。僕たちが幸せにします」と彼がライブで言ってくれた言葉を忘れない。
ありきたりで、キザな言葉かもしれない。周りの人もきっと同じような言葉をかけてくれる。ハタチにもなって推しに騒いでるなんて、とばかばかしく思う人もいるだろう。
しかし、私が壊れそうになった時、助けてくれたのは彼だった。私は彼を頼った。彼の言葉、音楽、歌、ダンスすべてに救われたのだ。

身近な人に頼る力は必要だと思う。いざという時に傍にいてくれる人、助けに来てくれる人はいた方がいいに決まっている。
しかし、今の私にはまだ難しい。それに、頼りにする人なんて誰でもいいと思うのだ。頼れる人がいない人は、少し視野を広げて、色んな人を見て刺激をうければいい。
私は、周りの人を頼れる日がくるまで、「推し」の存在に頼って生きていきたいと思う。そして、私を頼り、大切にしてくれる人たちを大切にし、これからも自分の役割を全うしていきたい。