最後の帰省から1年と2ヶ月。あれから一度も故郷には帰っていない。
コロナ禍になり一人暮らしの寂しさから、母に電話をするようになった
上京してから10年は経つにも関わらず、世間がコロナ禍になってから一人暮らしの寂しさに負けそうになることが増えた。親しかった友人たちも結婚し、アポなしで電話をかけることに遠慮をしてしまうようになったため、寂しいときにはまず母に電話をする。
社会人6年目にもなって、寂しいという理由で母に電話をする自分が恥ずかしかった。電話をかけて4コール目で「はい、もしもし」と少し歳を重ねた母の声。
「最近ね、お父さんが……」。今年の4月になってから、電話をすると新潟の実家の近況をすぐに話し始める。父も母も定年退職を迎え、お互いに家で過ごす時間が長くなったためか、妙に愚痴っぽい。言いたくても言えないことがたまっているのだろう。
母の話を横に流しながら、1年以上も東京の1Kアパートで一人で過ごしてきた自分の生活のことを思い浮かべていた。外出は基本的に控えていたため、ほとんど出かけず一人で家で食事をしたり、趣味に勤しんだりして時間をやり過ごす日々。
家族や友人と気兼ねなく同じ時間を過ごしたい。そんなささやかな願いが遠く感じられる今、母は父や祖母と鬱陶しいと思えるほどの時間を共有しているのだろう。
そう思うと、一人で東京にいる自分が急に惨めに思えてくる。コロナの不安と寂しさを噛み締めて日々を過ごす自分の境遇に、うな垂れる思いがした。
私は東京でこんなに頑張っているのに、母は実家のことで頭がいっぱいだ。電話越しには、私の寂しさはうまく伝わらない。
結婚について語る私は、話すことで「不安」を和らげたかったのかも
「寂しい」。愚痴をひとしきり話した母に、私はぽつりと自分の感情を口にしていた。
「結婚もする予定ないし、友達にも家族にも全然会ってない。本当に辛いよ、東京生活は。学生時代は、良かった。勉強も生活も友達と何でも支え合えていたから。社会人になってからは、みんなバラバラでそれぞれの道を歩んでる。私は、ずっと寂しいんだ」。母は、「あらそう」とうなずき返した。
「みんな、そんなものよ。学生時代とは訳が違う」と冷静な母の返しに、私は「それはそうでしょ」と鋭く返した。「寂しいから、本当は結婚がしたい。だけど、結婚したい人がまだ現れない。私はもうアラサーだし、早く結婚しなきゃとは思うけど、世間を気にしていたら過去の私が泣くと思うから焦るのはやめる。私は私だもん」。今まで部屋で一人、悶々と抱えてきた気持ちをなぞるように母に話していた。
母に聞かれてないのに、なぜこんなに結婚について語っているのか自分でもわからなかったが、話すことで自分の不安を和らげたかったのかもしれない、と頭の片隅で思った。「世間に呑まれるな。あんたは、あんたの道を行けばいいのよ。『普通』なんて、ないんだから」母はそう言って、私を励まそうとした。
この1年2ヶ月はとても長く深い闇のようで、「一人で悩む時間」だった
母の言葉を聞いた瞬間、寂しさを拭えずにいた、これまでの時間や結婚に悩み疲れ果てた気持ちが許されたような感覚があった。
コロナ禍で一人、考え続けた自分の未来。家族から受ける愛情に憧れを抱いたこの1年2ヶ月は、とても長く、深い闇のような場所で一人で悩む時間だった。
「普通」を口にする人が多い社会で、「普通」に呑まれないように生きていくこと。母の励ましは、間違いなく私が母の子であることを感じさせた。
顔の見えない電話の向こう。そこには間違いなく、私の故郷が広がっていた。