神様、一生のお願い。
何度この言葉を使ったか数えることもできないが、私が本気で救いを求めたのは2回ほど。
この2回は、きっとこれから何年、何十年と経っても、昨日のことのように思い出せる、私の人生が変わった時だ。

家族を一身で支えていた父が居間で吐血し、倒れているのを見つけた

父子家庭で育った私は、祖母、父、姉2人の5人家族。父は離婚したことを引け目に感じていたようで、仕事をしながら家事も全てこなし、私たち3姉妹が成人するまではと、学校や習い事の送り迎えまで行っていた。
喧嘩することもあるけれど、私も姉たちもみんな父が大好きだった。

私たちにとってはこれが当たり前の生活だったが、今考えると、父はかなり無理をしていたんだと思う。私が高校3年生の夏、いつものように塾への送り迎えをしてくれる父の様子がおかしかった。
「夏バテかな」なんて話をしながらも、病院に行くほどではないと薬を飲んで寝込んだ父に、受験の大変な時期なのに、なんて冷たい態度をとってしまった。
翌日も父の体調は回復せず、私は1人でバスに乗って塾へと向かった。バスの中、すでに家から出ている長女、旅行中だった次女にも連絡を入れ、無理にでも病院に連れて行くようにと連絡を受け取ったのは帰りのバスの中だった。
父が具合を悪くしている姿などほとんど見たことがなく、この日は授業が終わると一目散に家に戻ったが、どうにも胸騒ぎがした。
「ただいま」
家中に聞こえる声を出しても、静まり返る家に鼓動の音がうるさく、リビングで血だらけで倒れている父を発見した。父は吐血し、自分で救急車を呼ぼうと受話器を掴んだまま倒れていた。

何度呼びかけても応答はなく、慌てて110番。繋がった先は警察で、事情を話すと「110番ではなくて119番にかけ直してください」と言われた。119番に掛け直し、救急隊が来るまでの間、父の様子を説明してくれ、体の向きを変えさせてくれ、などと色々な指示を受けたが、ここのやり取りは覚えていない。
救急隊員が来て父を運ぶ間に、父の保険証を用意して、と言われた。当然どこにあるのかなど分からなくて、「お嬢さんパニックになっちゃってるね。じゃあ後ででいいよ」と言われた。
警察も、救急隊員も、日常茶飯事のことなのかもしれないが、どうしてそんなに軽口を叩けるのか、彼らの言葉がチクチクと心に突き刺さった。

その後、父は数ヶ月延命治療をし、息を引き取った。
神様お願い。一生のお願い。毎日願っても無駄で、私の声は誰にも届くことはなかった。

父が亡くなったのは自分のせいだと思った私は、涙を封印した

父が亡くなったショックで姉たちも精神のバランスを崩し、私は私を責めた。父を置いて塾になど行った自分のせいで父が亡くなったと思った。姉たちが泣き崩れる日々の中、私は涙を封印した。
未成年である私の遺産相続の件で親戚が姉たちに言い寄るのを、私が笑顔で対応した。姉のために、父を失わせてしまった自分が姉を守るんだと必死だった。
でもそんな私に姉が言ったのは、
「あんたが笑顔でいるから余計に辛い」
という真逆の言葉。それでも涙を封印してしまった私は、何故だか泣くことが出来なくなっていた。

それからしばらくして姉たちは、当時付き合っていた恋人との結婚の話を進め出した。私も父の遺言通り大学進学を決め、私の精神を抑えていた「姉の支えになる」というバランスがここから緩やかに崩れ始めていった。 
楽しい大学生活はあっという間に過ぎ、就職活動も沢山苦労したが、何とか大手と言われる企業への入社が決まった。
この会社で、私を必要としてもらえるように精一杯頑張ろう、天国の父を、姉たちを安心させよう。
そう意気込んで入社して数ヶ月、私は玄関の扉を開けることができなくなった。
何か特別なきっかけがあった訳ではない。でも希望していなかった営業部への配属。厳しい上司・先輩。同僚の失敗を自分のせいにされるなど、思ってもみなかった辛い職場環境に、少しずつ体が耐えられなくなっていたのだ。

会社か、それとも…という選択しか見えなかった私を支えたのは神様ではなかった

せっかく採用してくれた会社にも迷惑をかけてしまう自分の不甲斐なさに、毎日涙が止まらなくなった。数年ぶりの涙。死にたいという気持ちで頭の中がパンクしそうだった。
しかし自分が死んだら姉に迷惑がかかるという思いもあり、死ぬことすらも選べなかった。

神様どうか私を消してください。一生のお願いです。
これが人生で2回目の心からの神への願いだった。

毎日願っても本当に消えるわけもなく、どうすることもできなくなった私は、当時付き合っていた恋人へ事情を説明した。
嫌われるかもしれない。支えだと思っていた彼すらも失うかもしれない。
そう思っていたが、彼は弱った私を見捨てなかった。一緒に私の回復を待ち、少しでも気持ちが楽になれるようにと色々な提案をしてくれた。
彼のおかげで少しずつ回復し、会社へも部署異動を願い出てダメなら退職する旨を伝えたところ、たまたま空いていた事務職への異動のもと、復帰させてもらうことができた。

冷静になって考えると、当時の私は「会社に行くか」「死ぬか」という二択しか持っておらず、視野がとても狭くなっていた。
「頑張れば乗り越えられる」
「乗り越えた先に学びがある」
この言葉も嘘ではないが、無理なら無理と言っても良いのだと思う。
世の中には自分に優しい人、良い事ばかりではない。どうにか頑張って乗り越えようと思っても乗り越えられないこともたくさんあって、神様に願ってもそれがどうこうなるわけでもない。
困難に立ち向かうのも1つの手。逃げるのも1つの手。抜け道を探すのも1つの手。色んな手法があって良いのだ。
視野が狭くなりやすい私の取る手は、もう「神様に願うこと」ではなく、「人に相談すること」だ。