私の中で「切実に誰かに頼る」というと、「お悩み相談」が頭に浮かぶ。
だけど私は、まともなお悩み相談というものを、大人になってもちゃんとしたことがなかった。
初めてお悩み相談というものをした相手は「推し」だった。

納得いく答えがもらえなくて、誰にも相談なんかしないと決めた私

私ゆめみがち(芸名)は、不登校を繰り返しそのままニートになり、常に悩んでいた。
社会性がなく、人間関係が悪くなるから働きたくないし、やる気も出ない。
でも将来への不安はえげつなく、心身障害も起こっていた。
そのため心理士やセラピスト、福祉相談員やお偉いお坊さん等に、たくさんの専門家に「現状良くするにはどうしたらいいですか?」と出向いた。

しかし、アドバイスをもらっても、
「感情論・根性論じゃなくて、具体的な方法ないんですか?」
「ずっと働かなかったら自然と働きたくなる根拠あるんですか?」
と、ダメ出しを繰り返した。

当時は「有意義なアドバイスを貰おう」と真剣だったのだ。
だが、この姿勢は今から思うとお悩み相談というよりは、もはや「私を唸らせるアドバイスを要求する」という命令ではないだろうか。
真剣とはいえ、なかなか傲慢だったと思う。

そのせいか「うんうん」と話を聞いてくれていた専門家も、皆さん徐々に去っていく。
その度に私は「裏切られた」と感じ、最終的に「もう誰にも相談なんかしない」と決めた。
「どんな専門家も私の現状を変えることはできなかった。私は筋金入りのクソニート選手権優勝!!」と吹っ切れてしまった。
働かなくてお金がなくても、実家にひきこもっていればインターネットで充実できるしね。

私の悩みを推しが聞いてレスポンスを。胸が張り裂けそうだった

そんなクソニート生活を8年ほど続けていた最中、ネットの中で「推し」に出会った。
可愛くて癒される。タレントの仕事に一生懸命な姿もクソニートには刺さった。
追っかけていくうちに有料会員限定のラジオ配信・CDやDVDなど徐々になけなしの貯金を崩してお金を使うようにもなった。
遂には遠方での「推し」が出演するライブイベントにも参加する事を決定。
「遠征費にお金がいるので、ニートを卒業して働く!」と社会復帰も決定。
今まで私にダメ出しされまくった専門家の皆さんもきっと唖然とするレベルで、労働意欲が爆発した。
それだけ「推し」は偉大なのだ。

ただ、働くための体力がなかったため、まずはリハビリで祖父の農作業を手伝うことになった。
今まで手伝いさえしてなかったんかい!
それぐらいのクソニートだった分、手伝いとはいえ労働なるものはしんどかった。
農作業自体も同時並行作業が多く、マルチタスクが苦手な私はパニック状態だった。

とにかく「誰かにこの現状を聞いてもらいたい!」と思って、「推し」に「農作業やってますが大変です!どうしたらいいですか?」とラジオのお悩み相談コーナーにお便りを送ってみた。

そう、このお便りが人生で初めてのまともなお悩み相談だったのかもしれない。
当たり前だが、「私を唸らせるような解決策を出せ」なんて微塵も思ってないし、「推し」へのお便りを綴っている時点で、「推し」は「お便りが採用されたらなんて言ってくれるだろう?」というワクワクがあった。
お便りは採用されて、「推し」からは「頑張ってください!」という励ましと「やることを全部紙に書き出して気持ちを落ち着かせたら?」という言葉までもらった。
その日の疲れが全て吹き飛んだ。嬉しすぎる。
私の悩みを「推し」が聞いてレスポンスをくれた。それだけで本当に胸が張り裂けそう。
推しの私に向けた「頑張ってください」という響きは脳裏に焼き付いた。

推しに「頑張ってください」と言われたから、立ち止まらずにいられる

この満足感で私の悩みは、フワッと一気に軽くなった。おかげで農作業はうまくいき、収穫も出荷も成し遂げた。
その後「推しに近づけるかも」という淡い期待もあり、タレントを招くような地元のイベント会社に就職も決まった。
めでたく社会復帰成功!

しかし、「会話力がない、そして人間性がおかしい」と言われ、即クビとなった。
クビ宣告の後も涙を拭いて退職日まで真面目に働いたが、職場では何故かどんどん険悪になった。
最終日では事務所を去る際に同僚に嫌味を吐き捨てられたほどだ。
転職活動では内定ゼロ。先行き不透明な状態が続いている。

だけど私にはあの日の「推し」の「頑張ってください」という言葉に支えられている。だから頑張れる。
昨日も今日も「推し」の活動を見てこのどん底状態での憂鬱をかなり和らげてもらっているし、最近出向いた「推し」のトークショーイベントでは、たくさん笑って、生きるための活力が体から沸くのがわかった。
またイベントにも行きたい。その分しっかりお金を稼がないといけないから、くよくよせずに仕事を探そうと、立ち止まらずにいられる。
私は、今もこれからも「推し」に頼りっぱなしで、人生を歩んでいくのだろう。